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一夜の愛、人との愛
第17章 感知
獲物、という言葉に、真理亜の瞳が見開かれる。
男の目的は検討もつかないが、身の危険だけを理解した身体が、一気に強張った。

「離して…ッ」

必死に腕を持ち上げて、相手の身体を押しのけようとするのに、泥の中をもがくように自由が利かない。
それでも緩慢に首を振る真理亜を見下ろして、男は瞳を細く歪めると、闇の中に浮かぶ白い項にザラリとした舌を這わせた。

「……ひっ」

猫科の舌は紙やすりのように細かく尖り、真理亜の首筋を赤く染める。
ざらつく感触は痛みを伴って、唾液をまとっていても、その舌は優しさを産むことは無い。
一瞬、顔を上げた男が、互いの鼻先の触れる距離で、ふっと彼女の唇に息を吹きかけた。

「固くなんなよ。俺、柔らかい肉の方が好み」
「……肉?」

“獲物”の次は”肉”だ。
そんな単語を聞かされて、身体が強ばらない方がおかしい。
見上げた男の顔越しに、頭上の森の木々が闇に揺れているのが見えた。その木々のシルエットが滲んで歪んだ。

(……)

男の腕が肩から二の腕に降りた。
両腕を地に押し付けられ、瞳に浮かんだ涙を隠すこともできない。
不安と悔しさに真理亜は唇を噛み締めると、浅く息を吸って、それでも男を睨み上げた。

「貴方…、誰」

尋ねる声は微かに震える。
無様な格好だと分かっていても、気持ちで負けるわけにはいかない。

殺されたくない。
まだ死にたくない。死ねない。

男の爪が腕に食い込むほどに、本能的な生への欲求が湧き上がってくる。

「名前くらい、言ったらどうなの!」

押し倒され、明らかに怯えた様子の真理亜の口から、意外にも強気な声音で問われ、男は喉奥をクックッと鳴らすと愉快そうに笑った。

「お前さ、魚を食べるだろ?」
「……」
「その魚に、自分の名前を名乗るか?」

幼子に言い聞かせる口調で、猫なで声が響く。

「今から食おうとしている肉に、自己紹介する人間なんているのか?」

お前は豚に挨拶するのか、と冷やかされ、カッとなった真理亜の頭に血が上った。

「会話が通じる相手を食べるなんて、私達はしない!」

鋭い声に、男が笑みを消す。
じっと自分を観察する瞳は、薄闇のせいで瞳孔が開き、感情の見えない黒い丸が返って不気味だ。

緊張に真理亜が唾を飲み込んだ。
その音に、男が一つ瞬く。
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