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第8章 【紫陽花色の雨】
『‥そうだね。私には関係ない。お願いだからもう出て行ってよ…』

力を無くした葵の腕を振り払い、裸のまま布団に潜り込んだ。
葵は布団の脇で静かに立ち尽くしている。

「‥オレに彼女が出来たらみちるちゃんは嫌なの?‥どうして?」

葵の声が震えている。
私は布団を頭まで被り、何も答えない。

「‥逆に訊くけど、オレはいったいみちるちゃんの何なの?
遠い親戚の葵君?
…みちるちゃん、オレは5年待ったよ。
あなたのそばでずっと待ったよ。
犬や猫だって拾われれば名前をつけてもらえるのに、あなたはオレに名前をつけてくれないじゃない」

『‥‥葵は犬や猫じゃない。それに“アオイ”っていう名前がちゃんとある』

「―眠ったふりなんかしないでよ。
みちるちゃんはいつもそうやって、眠ったふりをして現実を見ない。いったいいつまでそうやっているつもりなの?
みちるちゃん、オレはもう5年前のオレじゃない。
…踏み込んだのはあなただよ。
オレたちの《これまで》を壊したのはあなただ。
それなのにみちるちゃんはオレに“変わらないでいて”なんて言う。―それがどんなに残酷なことか、みちるちゃんはちゃんと理解してる?
オレたちの関係に名前なんてなかった。
今までずっとあなたが名付けるのを拒んでいたから。
オレがあなたを拒絶したんじゃない。
あなたがオレを拒絶し続けてきたんだ。

―もう、この部屋には来ない」

*****

眠ろうとしたが、一睡も出来なかった。
布団の中で朝の訪れを知った。
呑まなかったと言うのに、今までのどの二日酔いの朝よりも酷い気分だった。
起き上がることがいつまでも出来なかった。

葵が出ていった瞬間のドアの音が、消えない木霊のように耳に残っている。
ずっとどこかで覚悟していた葵との別れ。
覚悟しながら心の底から怯えていた葵との別れ。

―あの子の顔をもう眼にすることは出来ない。

最後ならばもっとちゃんと顔を見ておけば良かった。
あの柔らかな肌。
桃のように色づいた頬を惜別の念を込めて撫でておけば良かった。

*****
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