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とあるオクサマのニチジョウ
第8章 ドキドキオクサマ
 
「…ふぅ……」

 客席とは区切られた小部屋。

 男女兼用のトイレに脚を踏み入れた恭子は、思わず溜め息を吐き出した。

 興奮に塗れた儘の状態でマスターを僅かでも視界に入れれば、乱れた情景を思い出される。

 意識しないようにと思えば思う程、イヤらしく喘いだあの時の事が鮮明に浮かび上がる。

 マスターの妻と顔を合わせる事が無かったのが救い。


…もう……此処…辞めようかなぁ………


 杏子の顔もまともに見れていない今、妻の顔を見たら罪悪感に塗れる事は間違いない。

 しかし、マスターを見れば、あの時を思い出して反応する。


…でも……あの人だって………


 慌てて家を出て行った時の正行の顔が思い浮かぶ。

 口では不満を洩らしながらも、恭子の前を通り過ぎる表情は緩んでいた。

 明らかに、何かを期待しての綻んだ表情。

 まともに恭子に向けた事の無かったその表情。

 そんな正行を見送る恭子は、確信を持っていたのだった。

 自らも正行を裏切る行為をしながらも、結婚前から正行に続けられていた背徳行為。


…目には目を…なんだからぁ………


 ハンムラビ法典を引き合いに出して突き動かされていた感情。

 しかし、マスターの家庭を壊して良い事には繋がらない。

 それでも、あの時の興奮を思い出せば、脚は喫茶店へと向いていた。

「…はあぁ……」

 ダメだと分かっていながらも止める事が出来ない本能に、恭子は再び溜め息を吐き出すと掃除を始めた。
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