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石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~
第9章 第二話・伍

夏と秋には薄紅色の睡蓮が池の面を埋め尽くし、江戸からはるばる蓮見に訪れる風流な客もいるとか。夏にはまた螢が群舞する名所としても知られ、螢見物に来る旅人がひきもきらない。この時季には普段は閑として人気も少ない村が、いっときだけ賑わうのだ。
その螢ヶ池の汀にひっそりと佇む御堂、辻堂は真言宗の開祖弘法大師空海を祀っているという。人ひとりがやっと横になれるほどの広さの御堂の奥には木彫りの大師像が安置されているが、いつ頃に作られたものかは定かではない。
村を抱くように背後に聳える山の頂には、小さな尼寺があり、そこに一人で暮らす老尼が時折、山を降りてきて、御堂で読経などを捧げている。普段は村の年寄りが花を供えたり、掃除をしたりして小さなお堂を守っていた。大人一人くらいが寝泊まりできる広さとあって、時には旅人がここを一夜の宿とすることもあった。
お民自身、江戸からはるばる旅をしてきて、最初に泊まったのがこの御堂であった。
嘉門の子を身籠もっているという事実が
決定的なものとなった時、お民はも
う源治の側にはいられないと思
った。源治を愛しているからこ
そ、大切にしているからこそ、
その優しさに甘えてばかりはい
られないと考えたのだ。源治は
まだ二十三だ。
お民より二つも若い。
無理に他の男の子を宿した女と連れ添わずとも、これからまだまだ若くてきれいで、気立ての良い娘を妻に迎えることができるだろう。何も源治までもがみすみす、お民の背負った宿命の犠牲になることはないのだ。
そう考えた時、お民は源治を一日も早く解放してあげたいと思った。源治にはずっと心配ばかりかけてきて、何も女房らしいこともできなかった。せめて最後に、自分が源治にしてやれることは、黙っていなくなることくらいのものだったのだ。
源治と別れるのは身を切られるように辛かったが、自分が身を退くことが男の幸せだというのなら、淋しさも辛さも我慢できると思った。
こんなことをしたお民を、源治は許しはしないだろう。あまつさえ、お民は嘉門の子を身籠もっている。たとえ、妊娠がお民の望んだ結果ではないとしても、源治にしてみれば、女房が他の男の種を宿したということは〝裏切り〟に他ならない。
その螢ヶ池の汀にひっそりと佇む御堂、辻堂は真言宗の開祖弘法大師空海を祀っているという。人ひとりがやっと横になれるほどの広さの御堂の奥には木彫りの大師像が安置されているが、いつ頃に作られたものかは定かではない。
村を抱くように背後に聳える山の頂には、小さな尼寺があり、そこに一人で暮らす老尼が時折、山を降りてきて、御堂で読経などを捧げている。普段は村の年寄りが花を供えたり、掃除をしたりして小さなお堂を守っていた。大人一人くらいが寝泊まりできる広さとあって、時には旅人がここを一夜の宿とすることもあった。
お民自身、江戸からはるばる旅をしてきて、最初に泊まったのがこの御堂であった。
嘉門の子を身籠もっているという事実が
決定的なものとなった時、お民はも
う源治の側にはいられないと思
った。源治を愛しているからこ
そ、大切にしているからこそ、
その優しさに甘えてばかりはい
られないと考えたのだ。源治は
まだ二十三だ。
お民より二つも若い。
無理に他の男の子を宿した女と連れ添わずとも、これからまだまだ若くてきれいで、気立ての良い娘を妻に迎えることができるだろう。何も源治までもがみすみす、お民の背負った宿命の犠牲になることはないのだ。
そう考えた時、お民は源治を一日も早く解放してあげたいと思った。源治にはずっと心配ばかりかけてきて、何も女房らしいこともできなかった。せめて最後に、自分が源治にしてやれることは、黙っていなくなることくらいのものだったのだ。
源治と別れるのは身を切られるように辛かったが、自分が身を退くことが男の幸せだというのなら、淋しさも辛さも我慢できると思った。
こんなことをしたお民を、源治は許しはしないだろう。あまつさえ、お民は嘉門の子を身籠もっている。たとえ、妊娠がお民の望んだ結果ではないとしても、源治にしてみれば、女房が他の男の種を宿したということは〝裏切り〟に他ならない。

