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石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~
第1章 壱
しかし、その分、働き者で面倒見も良く、〝兄ィ〟と大勢の若い大工からも慕われており、その陰陽なたのない気性は親方からも頼りにされていた。たとえ見場はたいしたことはなくとも、お民の自慢の良人であった。
お民は所帯を持った翌年、男の子を生んでいる。兵太と名付けたこの息子は兵助に似ず、眉目形の良い子であった。兵太の整った眼鼻立ちは、どちらかといえば、母親譲りであったかもしれない。女ながら大柄なお民は色白で、すごぶるつきというわけではなかったけれど、世間でいうところの美人の範疇には入った。
利発で、二親がろくに読めもしないような草子でもすらすらと読んだ。お民と兵助は、兵太が五歳になった頃から同じ裏店で浪人者夫婦が開いている寺子屋に通わせたのだ。兵太は仮名文字をすぐに憶え、両親を愕き歓ばせた。
だが、寺子屋に通い始めて三ヵ月後、兵太は近くの川に落ちて亡くなった。昼過ぎに近所の八百屋の倅のところに遊びにゆくと言って家を出たきり、夕刻を過ぎ、長い陽が暮れて辺りが闇の底に沈む頃になっても戻ってこなかった。
兵助は番所に捜索願いを出し、徳平店の住人たちも夜っぴいて心当たりを探し回ったが、兵太を見つけることは叶わなかった。
翌朝、兵太は物言わぬ骸となって見つかった。八百屋の倅順太郎は生憎、兵太が訪ねていった時、不在であった。何でも親戚に不幸があったとかで、母親に連れられ出かけていたのだとか。
兵太は順太郎の家を訪ねた帰り道、所在なげにこの界隈をうろついていて、誤って脚を滑らせてこの川に落ちたのだ。折しも二日続きの雨で、川の水は増水していた。それに、この川は見た目は流れも緩やかに見えるが、存外に急流で、しかも深いのだ。
倅を喪った当座は、この川を見るのさえ厭だった。この一見、穏やかで小さな川がたった一瞬で愛し子の生命を奪ったのである。そう思えば、今でも背筋がヒヤリと冷たくなるけれど、刻が経つにつれ、お民の心にもわずかずつ変化が生じてきた。いつしか、この川は倅の生命を呑み込んだ川から、倅のことを思い出させてくれる川に変わっていった。
兵太という子の母として過ごした五年間を、この川のほとりでゆっくりと振り返ることは、お民にとって必要な時間でもあった。
お民は所帯を持った翌年、男の子を生んでいる。兵太と名付けたこの息子は兵助に似ず、眉目形の良い子であった。兵太の整った眼鼻立ちは、どちらかといえば、母親譲りであったかもしれない。女ながら大柄なお民は色白で、すごぶるつきというわけではなかったけれど、世間でいうところの美人の範疇には入った。
利発で、二親がろくに読めもしないような草子でもすらすらと読んだ。お民と兵助は、兵太が五歳になった頃から同じ裏店で浪人者夫婦が開いている寺子屋に通わせたのだ。兵太は仮名文字をすぐに憶え、両親を愕き歓ばせた。
だが、寺子屋に通い始めて三ヵ月後、兵太は近くの川に落ちて亡くなった。昼過ぎに近所の八百屋の倅のところに遊びにゆくと言って家を出たきり、夕刻を過ぎ、長い陽が暮れて辺りが闇の底に沈む頃になっても戻ってこなかった。
兵助は番所に捜索願いを出し、徳平店の住人たちも夜っぴいて心当たりを探し回ったが、兵太を見つけることは叶わなかった。
翌朝、兵太は物言わぬ骸となって見つかった。八百屋の倅順太郎は生憎、兵太が訪ねていった時、不在であった。何でも親戚に不幸があったとかで、母親に連れられ出かけていたのだとか。
兵太は順太郎の家を訪ねた帰り道、所在なげにこの界隈をうろついていて、誤って脚を滑らせてこの川に落ちたのだ。折しも二日続きの雨で、川の水は増水していた。それに、この川は見た目は流れも緩やかに見えるが、存外に急流で、しかも深いのだ。
倅を喪った当座は、この川を見るのさえ厭だった。この一見、穏やかで小さな川がたった一瞬で愛し子の生命を奪ったのである。そう思えば、今でも背筋がヒヤリと冷たくなるけれど、刻が経つにつれ、お民の心にもわずかずつ変化が生じてきた。いつしか、この川は倅の生命を呑み込んだ川から、倅のことを思い出させてくれる川に変わっていった。
兵太という子の母として過ごした五年間を、この川のほとりでゆっくりと振り返ることは、お民にとって必要な時間でもあった。