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吼える月
第36章 幻惑
「ええと……もう一度お願い出来るかしら。どなた様?」
「神獣玄武なり」
男は満面の笑みを湛え、胸を張って凛とした声を響かせる。
しかしユウナは、きょとんとした目をぱちくりして、首を傾げた。
「やはりこのひとも幻かしら」
首から消えてしまった白イタチのように。
「それとも敵? 敵にしてはどうしてこうもわかりやすい嘘を……」
「幻でも敵でもあらぬ。嘘などでもあらぬ! 我は真なる神獣玄武なり」
男が玄武だと依然言い張れば、ユウナはさらに疑心を向ける。
「あたしが知る神獣玄武というのは、これくらいの大きさで首にも巻けて、白くてふさふさしている愛くるしい顔をしたイタチで、実体は黒くて大きな亀なのよ」
すると男は僅かな悲しげに目を伏せる。
「亀……。他にもっと形容があらぬのか?」
なぜだか、白イタチの目にも似た黒い瞳を揺らして、縋るように男は言う。
「つるっつるの亀?」
「つるっつる……」
男は落胆した様子だ。
美貌の無駄遣いだと、ユウナは思う。
「ああ、わかったわ。あなたの名前は、シンジュウ=ゲンブ……さんなのね。しかし……倭陵で姓と名があるってことは、武神将一家という決まりがあったはずだけれど、そんな名前、聞いたことがないわね」
するとさらに男は落胆したようだ。
「まあ、いいわ。あなたが幻ではないというのなら、異邦人かしらね。砂漠に閉じ込められてしまった者同士、よろしくね。あたしはユウナ、黒陵国出身よ」
ユウナが笑顔で手を差し出すが、男は握手をしてくれない。
ユウナがその笑顔を迫力あるものに変え、さらにずいと手を差し伸べると、男はその手をじっと見ているばかりで、業を煮やしたユウナは男の手を掴んで握手をした。
嫌がっている様子はないのだから、倭陵以外の大陸にはそういう習慣はないのかしれないと、ユウナは無理矢理自分を納得させた。