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吼える月
第12章 心願
 



「……心臓の音が……早い……」




 不意に胸に唇を落としていた男が、顔を上げて上目遣いでユウナを見た。


 長い前髪の隙間から見えるのは、挑むような黒い瞳。

 ひきしまったその精悍な顔は、大人だけが持ち得るしっとりと落ち着いた……円熟した艶香を漂わせていた。

 包み込むようで、強引に誘い込む……そんな危険な野生の艶をも介在させる男の顔は――。



「やはり少し……雰囲気が違うな」

「誰……?」


 男の声とユウナの声が重なった。


 ずきずきと体が痛む最中、恐怖と緊張にひりついたユウナの喉の奥。

 
 目の前の男の顔は端正に整いすぎて、サクのものだとは思えなかった。

 牡の艶と美貌にあてられ、心臓が騒いでしかたがない。


 男は美しい顔を歪ませ、眉を潜めた。


「またそれですか。紙きれひとつで勝手に解雇していなくなった上に、俺を見ながらのそれは、新手の嫌がらせですかね? 知らないわからないと嘯くなら、何度でも自己紹介しますよ」


 物言いは、サクのもの。

 男は、誘惑するかのような艶めいた声で言う。


「俺はサク=シェンウ、19歳。今まで、とある国の姫様の護衛をやっていましたが、解雇されて現在無職。ただ今、洗浄係か治療係を求職中ですが、今ならもれなく護衛役もついていてお買得。

……いかがです、まずはお試しからでも、雇ってみません?」



 ユウナは近づけられるその顔に息を引き攣らせて、無意識に体を強張らせた。


「さすがにそこまで不審者のように見られたら、傷つくんですが。姫様、もっと自己紹介必要ですか?」

「……っ」

「それとも、体にご挨拶した方がいいですか? 求職中の身の上、きっちりと宣伝しておかないと。特に忘れっぽい、薄情な姫様には」


 男は、胸の白い肌の部分に、わざと大きい音をたてて吸い付いた。

 その卑猥な光景と、男から漏れた恍惚とした声音に、ユウナは羞恥に体を熱くさせた。引いた血の気が一気に沸騰したようだった。


「わかった……からっ」


 途切れ途切れの言葉。

 どうして発声も、体の動きも思うようにいかないのか。


 どろりとした鉛のような意識に、油断すれば囚われてしまいそうだ。
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