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泡のように
第29章 28.
 お兄ちゃんはしばらく帰ってこなかった。
 ようやくガチャンと玄関ドアが開く音が聞こえたとき、窓の外で白い月が柔らかく光を放ちながら真上の夜空に浮かんでいた。

「あいつ。前から嫌いだったけど、許せない」

 お兄ちゃんのTシャツは出て行く前よりも汗でぐっしょり濡れていた。

「なにしてきたの?」
「話を」
「どんな?」
「こ、今度智恵子に触ったら、許さないって」
「それだけ?」

 無言で頷きながら、お兄ちゃんは絞れば水滴が滴りそうなTシャツを脱ぐ。
 固く締まった体幹と、私の太腿より遥かに太い腕や首、そして無駄に端正に出来た顔には、2トーンほど濃淡に差がある。
 グラウンドが兄ちゃんの職場だから。昔、お兄ちゃんはそんなことを言っていた。
 私が学校にいるあいだ、お兄ちゃんはカンカン照りのグラウンドで、或いはお兄ちゃんの雰囲気によく似合うじめじめした体育館で、何を考えていたんだろう。

 おっさんに凄むお兄ちゃんを想像して、期待はずれの結末に落胆した。


「なんだ。殺したりしなかったんだ」

 お兄ちゃんはじっと、私を睨み付けた。

「先生なら殺したんじゃないかな?」

 嘘だ。
 お兄ちゃんに嘘を吐いた。
 まさか先生がそんなことをするはずがないのに。

 私の嘘を見破ったのか、お兄ちゃんは口の端を歪めた。

「あ・・・あの人が?まさか。あ、あの、変態のおっさんは、そんなことのために自分の人生を棒に振るような人間だとは、思えない」

 そしてお兄ちゃんはその場でハーフパンツも脱ぐと、私とは目を合わせないまま、伏し目がちに言った。

「シャワー浴びてくる。服脱いで、待ってろよ。兄ちゃんと、したいんだろ?」
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