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秘蜜に濡れて
第22章 Not enough
金曜日、あいりは定時になると弾かれた様にオフィスを後にした。

電車に乗る前に撥春へメールを入れると、既にあいりの家の最寄駅に居ると返って来た。

ホームに着くと一目散に待ち合わせ場所に向かう。

見慣れた駅前の花壇の脇に撥春は立っていた。

華美でないシンプルなスーツに念の為の伊達メガネが憎らしい程よく似合う。

夜の闇に溶けかけた姿で気付かれ辛いとはいえ、そのオーラは隠し切れていなかった。

「あいり」

特徴のあるその甘い声に、あいり以外の人間もそちらを見遣ってしまう。

名前を出す訳にもいかず、あいりは駆け寄ると体をくるりと反転させ、人並みに背を向けた。

「何所かお店にでも入ってるとか…」

「店はもっとマズイでしょ?今さっき着いたばかりだから大丈夫だよ」

あっさりと言って退けて二人は並んで歩き出した。

「緊張してきた」

玄関を前にして、撥春はぽつりと呟いた。

どことなく強張った表情が見て取れる。

「行きます?」

「行きます」

撥春は首を左右に傾けてすぅっと息を吐き、ネクタイの位置を確かめる。

あいりは玄関を開けた。
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