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作品集
第10章 平成28年2月…
万次郎が学んだのは、英語・数学・測量・航海術・造船技術などの学問で、首席で卒業しました。
修学後の19歳の時、捕鯨船に乗る道を選びました。
それからわずか2年後の
21歳の時、万次郎は船員たちの投票で一等航海士・副船長となりました。
この一事だけを見ても、彼がいかに優秀な人物で、
リーダーとしても人々に慕われたかわかります。
都合3年間、捕鯨船で世界の海を航海し、多くの国々に立ち寄り、当時の日本人としては初めてと思われる貴重な体験を次々と積み重ねていきました。23歳の時、日本に帰ることを決意してからは、帰国の資金を得るためにゴールドラッシュで沸くカリフォルニアの金鉱で3ヶ月働き、600ドルを稼ぎ、1851(嘉永4)年、帰国の途に就きました。
修学後の19歳の時、捕鯨船に乗る道を選びました。
それからわずか2年後の
21歳の時、万次郎は船員たちの投票で一等航海士・副船長となりました。
この一事だけを見ても、彼がいかに優秀な人物で、
リーダーとしても人々に慕われたかわかります。
都合3年間、捕鯨船で世界の海を航海し、多くの国々に立ち寄り、当時の日本人としては初めてと思われる貴重な体験を次々と積み重ねていきました。23歳の時、日本に帰ることを決意してからは、帰国の資金を得るためにゴールドラッシュで沸くカリフォルニアの金鉱で3ヶ月働き、600ドルを稼ぎ、1851(嘉永4)年、帰国の途に就きました。