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星と僕たちのあいだに
第8章 セレンディピティー
四月初旬、圭司は都内の大手出版社に初めて足を踏み入れた。
千人近い従業員をかかえる巨大出版社は、圭司がこれまで出入りした小さな出版社とはあきらかにスケールの違う活気にあふれていて、キーを叩く音や、ひっきりなしに鳴る電話や、何かしら忙しそうに動き回る人々のざわめきが、広大なオープンフロア型オフィスの通路をゆく圭司の心を躍らせた。
案内された応接スペースに少し遅れてやってきた編集者は、硬めに結った髪が引きあげる切れの長い目尻と、高い鼻梁が特徴的な女性で、広く丸い額が彼女に聡明な印象を授けていた。
『突然お呼びたてして、すみません』
きちんと頭を下げたあと、彼女が差し出した名刺には「安藤佐和」とあった。
安藤佐和の泰然(たいぜん)とした物腰や所作には、圭司からみて「自分より少し歳上だろう」と感じさせる落ちつきがあり、一介の編集者といえども、彼女の洋服や身につけているものが都会的なセンスにあふれているのは、ファッション音痴の圭司にも充分わかった。
耳の早い安藤佐和は、広告代理店経由で圭司の噂を聞きつけ、これまでに圭司の素性をくまなく調べていた。
フレデリックミシェルのメインカットはもちろん、なかでもサイトにアップされていた老人たちのカットに好感を持ち、撮影テーマと対象をそこに絞った圭司本人に強い興味をもったのだった。
ファッション誌の取材を通してフレデリックとも面識があった安藤佐和は、インタビューの際、圭司とのエピソードの真偽をフレデリックにたずねた。
フレデリックはオフレコを条件に、『サワの知ってる噂どおりだ』と答え、
『あの日、ケイジのレンズは、
僕のデザインの数少ない悪い部分も
写し撮ってしまったんだ。
幸いそれは僕にしか気づかないことだったけど、
おかげで僕はパリに戻って、
こなさなきゃならない仕事が増えた。
一からデザインをやり直すっていう
馬鹿げた仕事がね。
ケイジはありのままを撮る天才だよ。
女優たちのほとんどが彼を嫌うんじゃないか?
だって彼のカットは、
皆に本当のことを気づかせるからね』
と圭司を評した。