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星と僕たちのあいだに
第8章 セレンディピティー
渡瀬に迫っている危機が重大なものであることを、エリの動揺した口ぶりが示していた。
渡瀬が生の尾根の切っ先でふらついている。
ほんのわずかな風がそよいだだけで奈落へ転げ落ちてしまう。
二日前の夜の、別れ際に振りむいた渡瀬の笑顔が脳裏にフラッシュバックして、圭司は大声をあげそうになった。
もし渡瀬が帰らなくなったら、あの丸顔をくしゃくしゃにした笑顔は記憶のなかのものでしかなくなってしまう。
「現実」は突如、親友の生と死を突きつけてきた。
訓練や夢ではない。
エリからの電話も、今自分がワゴンをぶっ飛ばして病院へと向かっていることも、朝の天気が一転して雨を降らせていることも、周囲は無数の事実に満ちていて、それはすべて現実なのだ。
「現実」には、おまけも気のきいた演出もない。
現実を切り取って生業(なりわい)とする圭司には、現実が不動のものであり、事実の連鎖によって創られているものだということが、骨身に染みてわかる。
現実に嘘はなく、それがどのような悲しい事実であっても、現実がもつ硬直した一方向の力に抗うことはできない。
だから人にできることがあるとするならば、何があろうとありのままを受け入れるか、あるいは、後悔することだけである。
つまり、現実は人の手に負えない。
そこまでわかっていながら、圭司は覚悟ができなかった。
そして、自分たちが思いもかけないことだらけの混沌のなかに生きていることを、あらためて思い知った。
自分を取りまく世界が殺伐としたものに様変わりしていく。
信号待ちで隣に止まった車の運転手や、雨の奥に見える横断歩道を渡る人たちが、自分とはまったく関係の無い赤の他人であることを、ひどく寂しく感じた。