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星と僕たちのあいだに
第8章 セレンディピティー
世の中は思いのほか軽薄だ。
自分たちにとって大変なことが起きたというのに、自分たち以外の世間は何事もなかったように時間だけが流れている。
この雨空のもと、ひとりの男が死の瀬戸際にいるというのに……。
誰も死ぬなんて考えていない。みんな忘れてるんだな。
俺だって、忘れてた。
人は生れたときから死に向かって不可逆に歩んでいることも、生きることそのものに死が内包されていることも、肉体に命を宿すことが、奇跡であることも。
生と死は表裏一体だ。
誰もがいつかは死ぬ。
わかりきったことなのに、今これほど怯えているのは、死があまりにも突発的で非情だからだ。
死の不測性が、渡瀬の人間性やこれまでの善行をまったく無視しているからだ。
『なんでだよ。容赦なしかよ。
頼むよ。いいやつなんだ。
おととい一緒に呑んだんだぜ……』
圭司の心に暗闇がたちこめていく。
その闇の中で圭司は、弱々しく裸にさらされるような気がした。
猛スピードで救急病院の駐車場へ飛び込んだ圭司のワゴンは、車道との段差で何度かバウンドし、跳ね上げた鉄製の溝蓋(みぞぶた)を大きく鳴らした。
助手席に放った携帯電話をつかんで蹴破るようにドアを開け、圭司は、全速力で駐車場を駆けた。
息を切らし、受付カウンターに覆いかぶさって事故のあった場所と渡瀬の名前をわめくように言うと、受付の女性は書類に投じていた視線だけを圭司に送り、ロビーの奥にある通路を指差して、その突きあたりまで行けばわかると言った。
古い救急病院の床はところどころでヒビ割れていた。
手すりの持ち手は経年劣化で色がくすみ、金属部分にはサビがまわっている。
突きあたりの非常口にぶら下がる誘導灯がやけに強い光を放ち、ところどころ角がめくれたリノリウム張りの薄暗い廊下を緑色ににじませていた。
救急に期待する役割と機能を実際に果たせているのか疑わしい病院のたたずまいに、圭司は一抹の不安をおぼえた。