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星と僕たちのあいだに
第8章 セレンディピティー
それとなく本質を突いた医師の言葉に、圭司は納得せざるをえなかった。
確かに、年明けから渡瀬の仕事ぶりは異常だった。
当初それは、早苗を獲得するため、渡瀬自身が自分にあつらえたハードルだった。
絵本作家になる夢をあきらめ本業に舵を切ったのは、多くのものを手にしないという渡瀬の流儀であり、早苗への誠意であった。
だが、あの夜の出来事で、「早苗を待つこと」が、早苗を苦しめることになると察した渡瀬は、いつしか身を退く決意を固めた。
渡瀬には山積みの仕事だけが残った。
腰や背中の痛みにいつもとは違う違和感をおぼえながらも、次々に予定をいれ、感傷に誘われないよう、くたくたになるまで働き続けた。
早苗という目的をみずから放棄した渡瀬は、その虚無をすきまなく仕事で埋めたのだ。
いま思えば、居酒屋の前で抜け殻のように空を見上げていた渡瀬は、そのときすでに、刀折れ、矢尽きていた。
あのとき渡瀬の手をとり、無理やりにでも医者に診せていたら……。
なんとはなく予兆があったのに、自分は口先だけで憂惧し、軽々に聞き流してしまった。
そのあと起こる出来事の「ある瞬間」の先端に触れていたのに、意識を働かさなかったのだ。
『もっと早く気づけたんだ……』
ぽそりとそうつぶやいて、ため息をついたあと、圭司は医師と目を合わせることができず、うつむいたり天井を見上げたりを繰り返し、ぎゅっと唇をむすんだ。
圭司の目が潤んだことに気づいた医師は、吸いこみかけた麺を口もとで留め、きょとんとした顔つきで圭司を見ると、それとなく視線をそらして知らないふりをした。
医師のぎこちない視線のはずし方と沈黙の許容は、あきらかに、圭司と渡瀬の友情を思いやったものであった。
そんな医師の心ばせに、圭司は、『すみません』と指先で目じりをぬぐい、小さく頭を下げた。