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星と僕たちのあいだに
第9章 涙のゆくえ
香気に鼻先をつつかれて、麻衣は薄目をあけた。
まといついた眠気が視界をぼかしていたが、香ばしいカレーの匂いと入れ替わるように眠りへの扉は遠のいていった。
さめきらぬまどろみを拭(ぬぐ)って身を起こすと、肩からブランケットがすべり落ちた。
見上げた高窓の外は真っ暗で、蛍光灯がやけにまぶしい。
首筋に鈍い痛みをおぼえ、ソファに突っ伏したまま眠っていたことにようやく気づいた。
手首を返して時計を見ると八時を過ぎている。
――――(あ、病院にパジャマ持ってくんだった……)
笑い声が聞こえ、目をこすって声のする方をうかがうと、圭司とエプロン姿の早苗がキッチンにいるのが見えた。
小皿をすすった圭司が親指を立てて笑っている。
早苗が炊いたカレーを味見しているようだった。
機材ケースを肩に掛けた圭司は、今しがた帰ったばかりだろう。
リビングで寝落ちた自分にブランケットを掛けてくれたのは早苗のようだ。
普段から魅惑をはらむ早苗の笑顔が、いつになくゆったりと優しく見える。
すらりと細い体に翠緑(すいりょく)のエプロンをきつく巻きつけた立ち姿は、大輪を開くカサブランカみたいだ。
――――(きれいなひと……)
どこにいても人目をひく、別物の美しさ。
容姿や顔かたちの良さだけではない、何かひとつ抜けた華やぎが、おかしがたい早苗の存在感を作りあげている。
初めて早苗を見たあの雨の日から、早苗の美しさはさらに磨かれ、輝きを増したように思える。
それはやはり、早苗も圭司のことを慕っているからだろうか。
麻衣はうつろな頭の片隅でそんなことを考えた。