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星と僕たちのあいだに
第9章 涙のゆくえ
高台にある公園墓地でシャトルバスをおり、ゲート横の売店で供養花とお線香を買った。
手桶(ておけ)に柄杓(ひしゃく)を差し込んだ麻衣は、『貸して』と古書店の紙袋を持ち、あいた父の左手の袖口をつまんで墓碑(ぼひ)までのなだらかな坂道を歩いた。
そんなふうにして父と歩くことで感じる安らぎは、かつて家族三人で暮らしていたころの、朝げの香りや、こたつの温もり、裏庭で母とこしらえたシジュウカラの巣箱や、薄暗いトイレに挑むための途方もない勇気、といった、多くの懐かしい記憶を麻衣の胸に呼びおこした。
思い出は坂道の木漏れ日にゆらめいて、麻衣の胸中に甘い官能をもたらした。
めくるめく宝石のような記憶に引きだされた父への感謝と愛情で、麻衣の胸はいっぱいになった。
『私、お父さん、好きだな』
思いがけずつぶやいて、麻衣は父の腕に頭を寄せた。
照れ屋の父は前を向いたまま何も言わなかった。
よすがとなる優しい記憶は、父と母がこしらえてくれた永遠に毀損(きそん)することのない、麻衣だけの安全地帯だった。
それは、いまの自分の心をわずらわせている別の事柄とは、まったく違う場所にあるのだと麻衣は安心した。
母の墓碑は高台の中腹にある。
サッカーのグラウンドが何面もとれるような広大な敷地には、夏の暑い陽が照り落ちていた。
洋型の墓石には「篠原綾」という母の名と、母のたっての願いで、「ありがとう」の文字が刻まれている。
『和子おばさん、来てくれたみたいだな』
母の墓碑には、明るい空がきらきらと映っていた。
おばの手によってすでに磨きあげられた墓碑に手を合わせたあと、父は両隣のお墓の周囲に散らばった枯れ葉や小さなゴミを寄せて、持ってきた袋の中に捨てた。
麻衣も手を合わせた。
それから柄杓で墓石のすそへ垂らすようにして水をかけ、ハンカチを手桶の水にひたしてから墓碑の上に乗せた。
墓碑の上から水をかけるのは、麻衣にはなんだか気がひけるのだった。