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星と僕たちのあいだに
第9章 涙のゆくえ
むろんこの転勤によって図れる将来の利益は小さなものではない。
いつになるか知れたものではないが、本社に戻るときは用意されたポストに落ち着くことになるだろう。
あわれみをともなって思い出される、麻衣が来てからの苦々しい生活。
そこから開放される身軽さを感じないわけでもない。
麻衣の父親との挨拶を済ませた圭司は、どうあれ麻衣と結婚する。
いずれにせよ、自分が倉庫に残るのは不自然なことだ。
恋の白旗を掲げ、堂々と胸を張って出て行こう。
――――(行く先は、ひとつしかないのよ)
早苗は、そう心に決めた。
だが、気高い矜持(きょうじ)を胸にこれからを歩もうという、そんな決意とは正反対の、歩む先に希望の見えないこの不気味さは、いったいどうしたことだろうか。
愛した記憶の重み、過ごした時間の密度。
頭が忘れたとしても、心は絶対に忘れない。
これが分別あるアラサー女の初恋だったと知れば、人は笑うだろう。
だがどれだけ嘲笑を浴びせられようと、世界中のどこへ行ったとしても、この一年半の苦くも優しい記憶を胸にしたまま、圭司を想う気持ちに幕を降ろすことはできそうもない。
圭司は奪った心を返してはくれない。
心を獲られたまま、異国で野たれ死ぬこともできはしない。
次に会えるのはいつになるだろう……。
『熱っ!』
紙コップをすすった早苗は、冷めきらぬコーヒーの熱さに唇を焼かれ、正気を戻した。
アイスコーヒーにすればよかったと、しかめっ面で唇をなめた。
第九章 涙のゆくえ