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星と僕たちのあいだに
第11章 夏の終わりに
鉄扉をあけた麻衣は、いつもと変わらぬ勤務あけの少し疲れた表情で『ただいま』と言い、キッチンの圭司をみとめると、傷の入ったヘルメットを脱いで微笑んだ。
『電話ごめんね。
忙しくて出られなかったの』
仕草も、声色も、表情も、普段となにひとつ違わないことに、圭司は不思議な気分で麻衣を見た。
駅前で目撃したことが夢だったのか、それとも今もまだ夢の中にいるのか。
それくらい麻衣はいつも通りだった。
『ごはんは? 食べたの?』
呆然とする圭司に、麻衣が首をかしげた。
『ナースコール続いたんだろ?』
申し訳なさそうにうなずく麻衣に、圭司は皿に残ったソーセージにフォークを突き立て、祈るような気持ちで問いかけの言葉を準備した。
早苗がバスルームに入るまでのあいだ、缶ビールで胸のうちを冷やしながら、シンクで手を洗う麻衣のうなじをそれとなく見た。
ここにあの男の舌が這ったのだろうか。
麻衣の唇はどんなふうに形を変えて男を受け止めたのだろうか。
そんな疑義(ぎぎ)を麻衣は晴らしてくれるだろうか。
バスルームの扉が閉まる音がして、圭司が訊いた。
『俺、夕方、駅前にいたんだ。
そのとき麻衣に似た人を見つけて
思わず電話したんだよ。
その人はエンジ色の車に乗って行ったよ。
麻衣じゃないよな?
勤務中だったんだから……な?』
一瞬で麻衣の表情が失せた。
みるみるうちに麻衣の顔から血の気が引いていく。
それと同じように、質問の途中から圭司の語勢も力を失っていった。
圭司は、願いを込めた。
嘘でいい。
頼むから嘘をついてくれ。
その嘘で一生俺をだまし続けてくれ――――。
麻衣は黙った。
しばらく何も言わず唇を固く結び、徐々に下がる力のない視線は、圭司の胸元と足元を落ち着きなく行き来している。
言い訳にいまさら意味があるだろうか。そんな顔つきだった。
麻衣を覗きこむようにして圭司が訊いた。
『麻衣?
お前じゃないんだろ?』
麻衣は首を振った。
『わたしです……』
消えかかるような声で言うと、麻衣はうなだれた。
『嘘をつきました。
ごめんなさい……』
圭司はむなしく屋根裏を見上げ、唇を噛んだ。
胸に大きな穴があいたような、そんな気がした。
重苦しい空気の中で、早苗がシャワーを浴びる水音だけがバスルームから聴こえた。