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星と僕たちのあいだに
第3章 星のすぐそばに
朝食を終えて圭司が食器を洗い、麻衣は弁当を詰めてから二人分の米を洗って土鍋を火にかけた。
圭司の準備を待つあいだに米が炊きあがり、それをリビングに運んだあと、麻衣は忍び足で早苗の小屋の扉をそっと開け、大きめのショルダーバッグを肩にかけた。
『行こうか』
『はい』
湾岸の長い一本道、ふたりを乗せたポンコツワゴンは煙を噴いて西へ走る。
山の尾根が白みはじめ、空は高くなるにつれ藍に馴染んでいく。
湾の沖には水先人の指示を待つタンカーが霞(かす)む。
空気は締まり、天気はいい。
『朝ごはんおいしかったよ』
『私もうれしかったです』
麻衣は、うれしかった、と、その時の気持ちを言葉にした。
『うれしい?』
『ええ、そうです。
うれしい、ですね』
『へぇ、うれしい、かぁ』
知らぬ間に相手を好きになっていたことはあったが、相手を思う気持ちが一分、一秒ごとにふくらんでいくというのは初めてだな、と圭司は思った。
そして早苗に手を出さなくて良かった、とも思った。
性的な欲望というものは、雷のように一瞬でついたり消えたりする。
圭司はこれまでに何度も、早苗に対して欲望の明滅をみたことがある。
倉庫で二人きりになったとき、早苗の小屋の扉に手をかけたことが何度かあった。
だがそのつど、渡瀬の丸い顔と早苗の媚態(びたい)が脳裏でせめぎあい、握ったドアノブから手を離した。
いつもぎりぎりのところで理性の箍(たが)は締めなおされるが、焦れた男の熱病は、自分のベッドでひとりなぐさめる結果となった。
麻衣には早苗ほど男を起たせる色香はない。
圭司は、彼女がベッドでどんなオンナになるのかと想像することよりも、ただ、麻衣の可愛げにふしぎな親愛感を抱いていた。
しかもそれが時を追うごとに自分のなかに増していくことを感じていた。
だが、圭司がいささかの躊躇もなく恋愛感情に狂奔(きょうほん)する気になれないのは、一年前の手痛い失恋があったからだった。
当時の恋人は、いつまでも芽の出ない圭司を見限って新しい恋を見つけた。
互いに将来を見定めなければならない年齢だった。
失恋の辛酸(しんさん)を味わって以来、圭司は恋愛におちいることを避けてきた。
いまは、麻衣への親愛感が恋のかがり火に変わらぬよう、祈るような気分でいる。
始まらなければ終わることもないからである。