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星と僕たちのあいだに
第1章 雨、出逢い
『ありがとうございます。
特にカメラを気になさらないで、
ふだん通りで結構ですから』
言うが早いか、圭司はすこし離れてカメラを構えると、樫の樹をバックに何枚か収めた。
そこからはレンズを意識させないよう、二人に話しかけながらシャッターを切り続けた。
自分は独身で来週二十八になること、港湾地区の倉庫街に暮らしていること、いつの日か世界を旅する夢があることなど、身の上ばなしを聞かせながら被写体の緊張をほどき、自然な表情を引き出していく。
圭司のおだやかな口調と話のあいまに見せる笑顔が場の空気をおちつかせると、あいづちを打つだけだった年配女性が、ごく自然に話しはじめた。
『私はね、食道ガンなのよ。
もう長くないわ。ね』
女性は首をかしげ、同意を求めるような素振りで看護師に微笑んだが、色白の看護師は小さくかぶりを振った。
『自分のことはほったらかしで、
亭主と子供のために七十年近く生きてきて、
やっとゆっくりできると思ったら、
このありさまよ。まったく。
割にあわないったらないわね』
この歳でこんな病気が治るわけがない、まいにち中庭に出してもらってこの樹に話しかけている、私の人生はいい人生だったかどうかをこの樹に評価してもらっているのよ、と年配女性は続けた。
圭司は、ファインダーごしの年配女性の表情に病の影をさがしたが、それらしきものを見つけることはできなかった。
むしろこの女性の病気は緩解(かんかい)に向かっているのではないかとさえ思えた。
『お元気そうに、見えますけどね』
『そう? こんなよ』
帽子を外した年配女性に頭髪は一本もなかった。
『撮っていいですか?』
『いいわよ。きれいに撮ってね』
年配女性はおどけた笑顔を見せ、圭司はシャッターを切った。
モニターに再生された女性の笑顔は尼僧(にそう)のようにおだやかで、最終ラウンドを終えたボクサーが見せる笑顔にも似ていた。