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フルカラーの愛で縛って
第2章 花

 *  *

19時を過ぎて、詩織は席を立った。
カウンター席もぽつぽつと埋まり、今夜の演奏について期待する声も聞こえ始める。
(仕事のこと、考えちゃうもんなー)
立ち上がってグラスを渡すと、国崎が黙って頷いた。

そっと喧騒を後にすると、フロア奥の”STAFF ONLY”と書かれた黒い扉の中へ進む。
扉の中は細い通路になっている。通路に面して扉が2つ。通路の突き当りに扉が1つ。
3つのうち、一番手前の扉が、詩織のプライベートスペースだ。
扉を開き、3畳の小さな控室に入って、彼女は一つ息を吐いた。この部屋に入ったら、それまでの自分は全て捨てて、”ピアニスト・佐倉詩織“になる。

部屋の奥のロッカーを開けて傘を中に立てかけると、上の棚から淡い桃色の敷き布を取り出して足元に敷く。
靴を脱いでロッカーに仕舞い、服を脱いで下着とストッキングだけになる。
背後のラックに数着かかっている衣装の中から、彼女はラベンダー色のサテン生地のドレスを手にした。
あの路地裏の紫陽花を見た時に、今日のドレスは、これにしようと決めていた。
ほっそりしたシルエットのドレスが、詩織の身体のラインを引き立てる。
髪を横にまとめてクリップで止めると、少しボリュームを持たせて華やかな印象をつける。
化粧を整えて、演奏用の靴に履き替えると、敷き布をしまってからロッカーを閉じた。

姿見の前で自分の格好を確認してから、詩織は一度目を閉じる。
曇天を忘れるような楽しい音楽が弾きたいと思い、今日のラインナップには急遽、ガーシュウィンの『I Got Rhythm』を入れることにした。もともとミュージカル曲として作曲された、この曲は、今ではスタンダードジャズとして知れ渡り、その独特の明るいリズムが人々に好かれている。
今日のお客様にも、きっと楽しんで頂けるはず。
そう思いながら、静かに目を開くと、姿見の自分に笑ってから、詩織は楽譜を手に取った。
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