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フルカラーの愛で縛って
第2章 花


 *  *


8時の演奏は、滞り無く終わった。
詩織が奏でる『I Got Rhythm』は、BAR全体の雰囲気を明るく和ませた。心なしか、従業員の接客風景も愉しげに見える。40分ほどの演奏の後、温かい拍手を受けながら、詩織は楽譜の入ったファイルを閉じると、客席に挨拶をしてピアノの蓋を閉じる。この後、9時15分から2回目の生演奏を終えれば、今日の仕事は完了だ。
ひとまず前半を無事に終えて、安堵の吐息と共に、詩織は立ち上がった。

トイレへ立つ女性客、席替えをするテーブル客の間に混じり、控室へ戻ろうとした詩織に、一人の男が近づく。
灰色の上下スーツで、黒髪に白髪混じりの、中肉中背の男だ。50代半ばくらいだろうか。時折ふらりとやってきて、フロア奥の暗めの席でウィスキーを嗜む常連の一人だった。
その男は、フロアを横切り、控室への扉に右手をかけようとした詩織に、背後から声をかけた。

「ピアニストさん」

その言葉に振り返った詩織は、何度か見かけたことのある客の姿に微笑んで一礼する。

「はい」
「いつも素晴らしい演奏だが、今日は一際良かった! こういう時に、チップを渡すのは、マナー違反になるのかな?」

アルコールで上機嫌になって、思わず詩織の傍まで来てしまったらしい。
額の脂がダウンライトに反射してテカっている。
詩織は嫌な顔一つせずに笑顔で対処する。

「チップは頂けませんので、是非、高めのカクテルをオーダーして頂けたら、私達も光栄です」

微笑んだ詩織に、「ほぉ」と呟き、男は前触れ無く彼女の右手を掴んだ。

(!)

思わず目を見張った彼女に笑みを深めて、男が1歩近づく。

「素晴らしい。貴方の立ち居振る舞いはプロそのものだ。益々、この店が好きになった」
「あ、ありがとうございます」

初老の男性は、今日はいつも以上に酔いが回っているらしい。
透き通るように白い手を包み込まれ、詩織は困惑した。両手でしっかと握られた手に、ちらりと視線を向けてしまう。やや湿った男の太い手に、詩織の笑顔も少しこわばった。
それでもお客様の手は振り払えない。



言葉に詰まった彼女が唇を震わせた時、



「お客様」



2人の間に、柔らかい男の声が割って入った。



「うちのピアニストが、何か?」



カウンターから出てきた国崎だった。
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