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夢見桜~ゆめみざくら~
第1章 夢見桜
それだけ言うと、吟はたまらなくなって泣いた。
「―」
一馬は黙って吟を抱きしめている。その表情はあまりにも静かすぎたが、泣いている吟には見えない。
「折角、剃髪しても良いと庵主さまよりお許しも頂いたばかりなのに」
泣きじゃくる吟の髪をそっと撫で、一馬が訊ねた。
「それで、どうするのだ。藩主の命は絶対だぞ」
抑揚のない一馬の口調は、まるで感情を置き忘れてきてしまったかのようだ。その不自然さにも吟は気が付かない。
「私は逃げます。このままここにいては、庵主さまにご迷惑がかかってしまう。でも、たとえ殿さまのご命令でも、側室になるのなんて、死んでもいや。今夜、このお寺を出ようと思います」
吟は一馬にだけなら、逃亡の計画を打ち明けても良いと思った。これが吟が精一杯考えて出した結論だった。吟がいなくなれば、光円にも累は及ばないだろう。この寺は藩主の一族の菩提寺だ。吟が逃亡を企てた後まで、いくら好色な藩主だとて、たかが女一人のために取りつぶしたりするとは思えない。女一人でどこまで逃れられるかは判らないけれど、できる限り逃げてみようと決めたのだ。
「そうか」
一馬の顔がわずかに歪んだ。静まり返った水面にほんのかすかなさざ波が立ったように、哀しみと絶望がよぎった。だが、吟はそんなわずかな彼の変化を見逃してしまった。
「一馬さま、短い間でしたが、ありがとうございました。この前、失礼なことを申し上げてしまったので、もうおいで下さらないと思うていたのです。お顔を見ないまま出てゆくのが心残りでございましたが、これでもう思い残すことはございません」
「―」
一馬は黙って吟を抱きしめている。その表情はあまりにも静かすぎたが、泣いている吟には見えない。
「折角、剃髪しても良いと庵主さまよりお許しも頂いたばかりなのに」
泣きじゃくる吟の髪をそっと撫で、一馬が訊ねた。
「それで、どうするのだ。藩主の命は絶対だぞ」
抑揚のない一馬の口調は、まるで感情を置き忘れてきてしまったかのようだ。その不自然さにも吟は気が付かない。
「私は逃げます。このままここにいては、庵主さまにご迷惑がかかってしまう。でも、たとえ殿さまのご命令でも、側室になるのなんて、死んでもいや。今夜、このお寺を出ようと思います」
吟は一馬にだけなら、逃亡の計画を打ち明けても良いと思った。これが吟が精一杯考えて出した結論だった。吟がいなくなれば、光円にも累は及ばないだろう。この寺は藩主の一族の菩提寺だ。吟が逃亡を企てた後まで、いくら好色な藩主だとて、たかが女一人のために取りつぶしたりするとは思えない。女一人でどこまで逃れられるかは判らないけれど、できる限り逃げてみようと決めたのだ。
「そうか」
一馬の顔がわずかに歪んだ。静まり返った水面にほんのかすかなさざ波が立ったように、哀しみと絶望がよぎった。だが、吟はそんなわずかな彼の変化を見逃してしまった。
「一馬さま、短い間でしたが、ありがとうございました。この前、失礼なことを申し上げてしまったので、もうおいで下さらないと思うていたのです。お顔を見ないまま出てゆくのが心残りでございましたが、これでもう思い残すことはございません」