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夢見桜~ゆめみざくら~
第3章 夜の哀しみ
 と、回りを見ていた吟の視線がピタリと一点で止まった。その先には、吟が育った尼寺の桜―夢見桜によく似た桜の樹があった。
「夢見―桜」
 吟の唇から短い言葉が紡ぎ出されたその瞬間、一馬はそれこそを夢を見ている心地だった。
「お吟ッ」
 一馬の呼びかけに、吟が振り向いた。今、長らく氷に閉ざされた心がゆっくりと溶け始めていた。吟の心を哀しみという氷に閉じ込めたのも一馬であったが、また、その凍てついた心を温かく春の陽差しのように包み込んで解き放ったのも一馬であった。一馬の辛抱強い献身的な愛情が漸く、吟を絶望という底なし沼から明るい場所へと救い出したのだ。
 夢見桜の見せた一瞬の夢の中で、吟は黒い影に追われていた。影の正体が一馬であったというならば、あの怖ろしい夢から吟の名を呼び、目ざめさせたのもまた一馬であった。一馬は吟にとって、絶望だけでなく再生をももたらす存在であると、あの桜は夢で告げていたのかもしれない。
 吟は確かに覚えていた。まるで夢を見ているかのように頼りない日々を過ごしていた間、ずっと一馬が側にいて支え続け、見守っていてくれたことを。山に連れてきては、様々な景色を見せ、自然に触れる機会を作り語りかけてきてくれた。
 あの時、まるでゆらゆらと水底を漂っているようなおぼつかない感覚の中で、吟は生きていた。いや、時折、本当に生きているのだろうかと自分ですら疑わしくなるほど、まるで生きているという実感がなかった。それほど頼りない日々の中、一馬の存在だけが吟を現(うつつ)に繋ぎ止めてくれる確かなものであったような気がする。
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