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あい、見えます。
第5章 見えなくても
「……3時、半」
キーボードの真上で浮いたままの、遥の指が小さく震えた。
午前3時半。
自分は、隣の男が、午前3時半に出逢った相手を知っている。
「……」
遥が狼狽えている間も、薫の声は、静かに、ゆっくりと何かを読み上げていく。
『長い黒髪の女性』
『瞳が美しかった』
『仕事で足止めを喰らわなかったら、出会うこともなかったかもしれない』
紙を捲る音が、カサカサと聞こえた。
『また会えた』
『名前を伝えた』
『彼女の手に白杖。目が見えないのか』
『出逢った時は目が合ったと思った。気のせいだろうか』
『彼女は名乗らない。当然だろう』
『怖がらせたくは無い』
白杖の名前を知っている健常者は、珍しい。
そんなことを思う内に、また、紙が捲られる。
『毎朝、9時頃に、彼女は家を出て行く』
『帰ってくるのは5時半過ぎ』
『仕事? 趣味? 通院?』
微妙な間があった。
『彼女が出かける音』
『図書館。初めて入る』
『彼女の名前はハルカ。青木という友人に出会う』
「……!」
突然の言葉に、遥が身を固くする。
けれど、薫の声は淡々と、穏やかに続いた。
『ストーカーに間違われる。否定しようが無い』
『彼女に気付かれないうちに、帰宅する』
『”奇跡の人”を借りる。水が出てくる作品、というくらいしか知らなかった。意外と面白いし、奥が深い』
薫が、紙を捲った。
『"沈黙の音"』
『目が見えないことが一つの個性になる。武器にもなる』
『音が、世界を変える』
『いい本だった。有名になるのも分かる』
再び、間があって、薫が息を吸う音が聞こえた。
だが、言葉はすぐ続かない。
暫くの沈黙の後、薫は小さな溜息をついたようだった。