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忘れられる、キスを
第30章 震え
「彼女、襲われたんだ」

え。
何。

早坂さんの言葉に、頭を鈍器で殴られたような気がした。

何を言っているんだ、この人は。

思考が追いつかない。

「会社の、資料庫で。巡回中の警備員が、昼間は鍵が開いているはずの資料庫の鍵が閉まっていることを不審に思って、中を確認しようとしたんだ。そしたら」

淡々と、早坂さんが話す。

「俺の同期の…佐野って奴がな、深町を、組み敷いて…」

早坂さんは不愉快そうに眉を顰めた。
くそ、何でだよ…と低い呟きが零れた。

「あ…の、どういう…」
「分からない…俺は……あいつの上司なのに…何も…」

くしゃり、と早坂さんが髪を掴んだ。
優しげな顔が歪む。

佐野、という名前に聞き覚えがあった。
以前、先輩をタクシーに押し込もうとしていた男だ。
それを思い出した途端、腹が煮えくりかえるほどの怒りを感じた。

何で、気付かなかった。
きっと、こんなことになる前から、ずっと、苦しんでいたんだ。
先輩はずっと、助けを求めていたのに。
妙に甘えた言動も、時々泣きそうな顔をしていたのも、極端に身体に触れることを怯えていたのも、時々うなされていたのも。
もっとちゃんと理由を聞くべきだった。
嫌がっても、泣いても。
こんなことになる前に。

吐き気のような気持ち悪さと怒りが胃をせり上がってくる。
それを押しとどめるように、爪が食い込むくらい、ぐっと拳を握り締めた。
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