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やさしいんだね
第4章 ロストバージン
 佐治はほんの数口吸っただけの煙草を何の未練もなくガラス製の灰皿に押し付け、上着を羽織った。
 その姿を呆然と見つめながら小百合はゆっくり立ち上がり、制服を身に着けた。
 

 別れ際、小百合は最後まで佐治の名前を呼ぶことが出来なかった。
 しかし佐治はエレベーターに乗り込む前、いつもと同じ健康的な笑顔で、

「今日は本当にありがとう。最高の誕生日になったよ。勉強がんばって。じゃあ、またね、シズクちゃん」

 そのように簡素に挨拶し、分厚い鉄の扉の中に消えた。
 小百合の半乾きの髪には、ラークの甘い香りがしつこいほどに染み付いてしまっていた。




「お疲れ様でございました小百合様ぁー!初めての感想を一言!」



 小百合が深く息を吐いたころ、ワンボックスの窓の外に広がる景色はすっかり漆黒の闇に包まれてしまっていた。
 ハンドルを握るソンはフィルターぎりぎりまで吸った煙草を窓の外へ投げ捨てると、塾に向けて車を発進させた。


「今日はもう帰る」


 けれども小百合がそんなことを後部座席に横たわりながら告げたせいで、急ブレーキを踏むハメに陥った。
 ソンは運転席から身を乗り出して後部座席に顔を覗かせ、“心配している”という体裁上の表情を全身に浮かべた上で「塾に行けそうもねぇほど痛むのか?」と小百合を気遣って見せた。
 小百合は首を左右に振りながら濡れた毛先を指でいじり、もう一度深くため息を吐いた。


「髪が濡れてるから」


 ソンは一瞬呼吸を止めたものの、すぐに笑顔を作りながら前に向き直り、バックミラー越しに大げさに頷いて見せた。


「へぇへぇ!かしこまりました!文化住宅にお送りすれば?」
「違う。あんたんち」

 小百合のか細い願いを耳にした瞬間、ソンは笑顔を崩して眉間に皺を寄せた。


「いやぁ・・・今日は色々あってよ。このあと事務所に帰んなきゃいけねぇんだ」


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