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やさしいんだね
第4章 ロストバージン
 ―――疲れた。
 

 下痢便が飛び散った和式便所に胃液が主成分の給食を吐き戻し、ふらつく足でトイレから出て改札に向かいながら、小百合は声にならない声で呟いた。
 

 ―――ねぇ、ママ、今日は私、疲れちゃった。
 
 
 声に出したら余計虚しくなることを理解していたから、だから、声には出さなかった。


 ―――明後日からはまた頑張るから。ママのために頑張るから。

 
 佐治の待つホテルへ向かう途中、ソンのワンボックスから見た同じ中学の女子生徒とその母親らしき女性の仲睦まじい姿が目に浮かぶ。


 ―――だから、お願いママ・・・。今日だけでいいから、今日だけは、新しいパパとじゃなくて、私といっしょに・・・。


 しかしその姿はすぐにソンの事務所で首を掻っ切った少女の商売になる気配のない陰気な顔に代わった。
 ソンの部下に縋り付いて、どうしても金を稼がなければならないと泣いたらしい、不細工な少女の姿に。
 そしてその滑稽な姿はいつしか、愛する男の自宅で命を終わらせた千夏の死に様へと代わっていた。



 



「ごんだ?」



 

 だからこそ、小百合はすぐに気が付かなかったのだ。
 改札に吸い込まれていくスムーズな人々の流れの中に横入りするようにとぼとぼと向かっていたとき。



「権田じゃないか?」


 
 スムーズな流れを乱されたことに苛立った乗客のひとりである大柄な男がICカード方手に、頭を垂れてのろのろ歩き列を乱しているセーラー服の少女を目で追いかけた瞬間、その背中に見覚えがあることに気付き。



「やっぱりそうだ」


 
 同時に思い当たった名前を大声で呼び、そしてその名前が小百合の本名であったことに。



「うちのクラスの、権田志津紅じゃないか」



 改札へ向かう流れを小百合とは真逆の手順で乱しながら駆け足で背後に迫られ、大きな手のひらで肩を2回叩かれるまで。



「おい」



 そして、驚いて振り向き、遥か頭上にある見覚えの鳶色の瞳と、そのエキゾチックな顔立ちが珍しく感情の色を浮かべているのを確認するまで。



「ちょっと待ちなさい」




 担任教師である八田に呼びとめられたのだと、気付かなかったのだ。



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