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やさしいんだね
第5章 鮮血と赤箱
〈わかってるって。ごめんってば。仕方ないだろ・・・そんなこと言うなよ、俺だってめちゃくちゃ楽しみにしてたんだよ?メイが泣いてたって?悪かったと思ってるよ。明日の昼か、夕方までには行くからさ。え?そんなこと言うなよ、仕事なんだからさ・・・〉

 
 小百合はうつぶせのまま壁側に顔を向けた。
 八田の苛立ちがガラス越しに鼓膜を揺らし続ける。


〈ごめんって・・・。でも・・・。うん、ごめん。ごめん。ごめん、明日は絶対行くから。ごめんって・・・わかってるよ。俺だって分かってる。でも仕方ないだろ。・・・分かってくれよ〉


 耳を塞ぎたい。
 けれども、身体が動かない。
 血液が減ったせいだろうか。
 疲れたせいだろうか。
 小百合は八田の妻の布団の上で、夢と現のあいだを彷徨っていた。



〈頼むよ・・・。なぁ?メイたちには、リョウちゃんがいるだろ。おじいちゃんとおばあちゃんも、アイちゃんだって。それに、今は離れてるけど、俺だっているんだ。でも、今日倒れた生徒には、病院まで迎えに来てくれるような親がいないんだ。こんな時間まで家に帰らないって心配するような親がいないんだよ。本当に悪かったと思ってるよ。明日は絶対行くから。ごめん。リョウちゃん、ごめん。ほんとうに、ごめん〉



 ・・・リョウちゃん、ごめん。愛してるよ。


 
 八田は何度、電話口の向こうで怒り狂っているらしい様子の妻に述べただろう。
 小百合にはもう、分からなかった。


 瞼の向こうに広がる暗闇の中に、フローリングをひたひたと踏みしめる足音が近付いてくることに気付き、はじめて小百合は八田が通話を終えたことを理解した。

 ラークの香りが和室の戸口に立つ。
 背中に落ちる視線。
 血濡れの下着を思い出したけれど、小百合は起き上がることが出来なかった。
 意識はあるのに身体が動かない。
 あの時はどんなふうに自分の身体を取り戻したのだろう。
 意識だけがはっきりとした暗闇の中で、小百合は畳を静かに踏みしめながら近付いてくる気配を感じていた。


 風圧が全身を撫でる。
 大きい熱気はじきに小百合の髪を撫でた。


 がさがさ音がして、尻の上に柔らかいものが覆いかぶさる。
 毛布をかけてもらったのだと気付いたのはすぐあとだった。


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