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やさしいんだね
第6章 他人の快楽は夕刻の改札で
 ソンが804号室のチャイムを鳴らしたのは午前6時半過ぎだった。
 いつもはラフに見せかけてしっかりセットしてある刈り込みの髪がぼさぼさに乱れたままだったのを見て、小百合はソンに感心を覚えた。
 それと同時に。


「すみません先生、ご迷惑をおかけしてしまって・・・志津紅!どうして叔父ちゃんにすぐ連絡しなかったんだ!?先生に迷惑かけてこのやろう・・・」


 一報を受け、寝巻きのまま飛び出してきたと思わせるスウェット上下もしかり。
 それよりも、前途のようなことをソンらしからぬ口調で述べながら小百合の頭を小突いたことに、小百合はソンという男の奥行きに感心すると同時に、背筋が凍るような冷たさを感じずにはいられなかった。



 八田はソンに必要以上の情報を伝えなかった。
 名刺のことなど一言も述べなかった。
 玄関先で何度も何度もしつこく腰を折り頭を下げるソンに、八田はただ、


「月曜日に学校まで来てもらうよう、お母さんにお伝えください」


 と繰り返すだけだった。





 ワンボックスの排気口から立ち上がる煙は白かった。
 小百合は肩を震わせながら借り物衣装のまま助手席のドアを開け、飛び乗ると同時に声を上げて泣いた。
 堰を切ったように涙が両目から次々に溢れ出し、運転席に乗り込んできたソンの首筋に抱き付きながら子供のように、というか事実子供らしく、大声で泣き喚いた。


「教師なんかだいっきらい!」


 悲鳴のような小百合の声がソンの鼓膜を叩くように強く揺らす。
 ソンは口の端を吊り上げて笑い、頬に張り付く小百合のごわついた髪を優しく撫でながらゆっくり泣き顔を覗き込んだ。


「まぁまぁ、そんなこと言うなよぉ。あのセンコーに助けてもらったんだろ?ぶっ倒れたお前を助けてくれたうえにさぁ、お前のママが迎えに来てくれねぇからってんで、一晩泊めてもらったんだろ?いいセンコーじゃねぇか」

 小百合の予想通り“仕事”を無事終えたらしいソンの冷たい両手が、小百合の頬を包む。
 ソンの親指が涙と涎で濡れた小百合の下唇に触れ、小百合がぼやけた視界で間近にあるソンの顔を見つめると、ソンは口を三日月のように開いて笑っていた。
 ヤニで汚れた歯が見えた。

「あんたなんかだいっきらい」

 キスされたあと、小百合はしゃくりあげながらソンに言った。
 
 
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