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ただ一つの一対
第8章 聖夜の狂乱
 
 だが、菊が部屋を出ようとしたその時、最後の最後で老医師は菊に水を浴びせる。

「ああ、それと。若様を殴った無頼漢は、若様の子分達が霊安室に連れて行きましたよ。まだ死んじゃないと思いますがね」

 菖蒲の事で思考が一直線になっていた菊は、その言葉に足を一瞬止める。だが振り向き老医師に礼をすると、すぐに部屋を出て行った。

 菊には喜ぶよりも先に、確認しなければならない事が山程ある。感情を押し殺せば、浮かぶのは焦りだった。傷口が開くような真似をするなという忠告を無視し、菊は廊下を走る。そして菖蒲が休む部屋のドアを開けると、暗闇に佇む影に声を掛けた。

「その注射器で、何をどうする気ですか……片倉」

 眠る菖蒲を、電気もつけずに見下ろすのは片倉だった。その手には、医療関係者でもないのに注射器が握られていた。

「ここで騒いでは菖蒲が目を覚ましてしまいます。来なさい」

 菊は溢れ出る黒い感情を抑え、片倉の手首を掴む。そして病院の屋上まで引っ張ると、尻を蹴飛ばし床へ転がした。

 片倉が身を起こそうとすれば、菊は背中を踏みつけ制止する。そして懐を探るが、病衣に銃は忍ばせていない。菊は舌打ちすると、足に力を込めた。
 
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