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ただ一つの一対
第9章 ただ一つの一対

「姫様、実は私の本名、吉澤美和子って言うんです」
「え?」
菊が倒れ、今わのきわだと聞かされた菖蒲は、ずっと後部座席で俯き震えていた。重苦しい車内へ唐突に響いた意外な告白に、菖蒲は目を丸くし顔を上げた。
「じゃあ、なんで片倉さんって呼ばれてるの?」
「若が言い出したんですよ。今日からお前は片倉ですって」
本名の欠片もない呼び名に、菖蒲は首を傾げる。すると片倉は、ぽつぽつと語り始めた。
「若が私を引き抜いたのは、今から十年程前の話です。あの頃の私は上司から酷いセクハラとパワハラを受けていて、自殺したいと思う毎日でした」
「片倉さん……」
「夢も希望もない私を、若は必要としてくださいました。怒らないで聞いてくださいね? 私も姫様と同じく、若を愛しているんですよ」
バックミラー越しに見える片倉は、穏やかな笑みを浮かべている。恨みや嫉妬は感じられないが、菖蒲は気まずさを覚えた。片倉の長い片想いは、菖蒲が壊してしまったのだから。
「姫様、ですから気になさらないでください。私は若が笑顔でいてくださるなら、隣に誰がいても構わないんです」

