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ただ一つの一対
第9章 ただ一つの一対
 
 片倉がわざわざ隣の県まで車を飛ばしてきたのも、おそらくは菊のためだ。菖蒲は深い愛情に打ちのめされると同時に、使命感を覚える。そこまで想いながらも身を引く人間がいるのに、愛されている自分が自ら手を離すなど、かえって失礼だと。

「若は、お優しい方です。私は片倉という名前をいただいた時、自分が生まれ変わったような気がしたんです。自由に外を歩き、誰に媚びずとも生きられる、そんな自分に――」

 片倉は車を端に停めると、菖蒲の方へ振り向く。そして、深々と頭を下げた。

「どうか、若を幸せにしてください。私に出来ないそれが出来るのは、姫様だけです。私に名前をくださったあの人に、今度は姫様が自由を与えてください。あなただって心の赴くまま生きていいのだと……」







 片倉が菖蒲へ優しく接したのは、復讐の布石である。菊と菖蒲が仲違いしたままでは、宗一郎が二人を目撃しても絶望を与えられない。片倉は、菖蒲が思うような清廉な女ではない。

 だが、菊の目からは涙が溢れていた。片倉の残した言葉を菖蒲から聞くたびに、胸を突かれ頬を濡らした。
 
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