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ただ一つの一対
第1章 失恋した男

「そ、そうだ、素振り千回に付き合うとか!」
「確かに素振りを千回もすれば、疲れて深い眠りにつけるでしょうが……慰めと言うよりは、叱咤激励ですね」
「美味しいご飯食べるとか」
「菖蒲が作ってくれるんですか?」
「え、あたしが?」
「食べ物で釣るなら、手作りの方が嬉しいですね」
つい先程菖蒲の料理の腕を確認したにも関わらず、菊は笑顔で要求する。だが今は、先程とは一つだけ違いがあった。
「――片倉さん!」
「はい、何でしょうか」
「ご飯作るの、手伝って!」
手を合わせ頭を下げる菖蒲を見て、片倉は菊の表情を窺う。そして菊が小さく頷くのを見て、菖蒲の顔を上げさせた。
「かしこまりました、姫様。では姫様が稽古に向かわれている間に、下ごしらえをしておきましょう。お昼には、こちらへお戻りになりますよね?」
「片倉さん……大好き、ありがとうっ!」
菖蒲は喜びのあまり、片倉に抱きつく。朝の平和な会話、菖蒲は夜の香りなど知らず、無邪気に笑う。抱きついた相手の、バスタオル一枚を隔てた奥。そこに、光の差さない深い黒がある事にも気付かず。

