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ここで待ってるから。
第26章 そうだ、温泉に行こう。〈山茶花〉
 気がつくと、ぐっすりと眠ってしまっていたようだ。

 もう、二十時を回っていた。

 久々に露天風呂にでも入ろうと、着替えの用意をして本館に向かう。

 ここの温泉の質は本当に良いと思う。

 父親は母に対して旅館経営など出来るわけないと決めつけていたが、気持ちよく裏切っていた。
 昔から母の立ち振舞いは美しく、社交的だった。それを見抜けずにいたのは、父親の誤算だったろう。

 ワンマンな経営が、病に倒れベッドから出られない状態の父親に替わり姉夫婦になったとたん、メディアや業界から注目されるようになった。

 ベッドの上で、さぞ悔しい思いをしているだろう。

 手足も動かず、言葉もろくに話せない父親は誰からも見放された。

 身体を流し、露天に向かう。

 久々の温泉に、身体と心が癒される。

 暫くすると、二人連れの客が入ってくる。

 視界に入った男に、少し驚く。向こうはまだ気がついていないが、やはり…な。

「…こんばんは、東夏君。」

 向こうの反応が一々面白くて、思わずからかいたくなる。ほら、その複雑な表情。それが面白い。

「う、っ。な、なんで深山さんがここにいるんですかっ?」

「この旅館は母が経営している。フロントにいた女将が母親。橙子も来てるのか?」

 ツレの顔は見たことがないな。友人か?

「あ、いえ。橙子さんも来てます。あと、田畑さんも。」

「そうか。田畑さんとは同じ会社に勤めています。深山です。」

 こっちは、田畑沙矢子の彼氏か。お互い、軽く挨拶を交わす。

「…こんな、偶然ってあるんですね。」

「そうだな。…そうか、橙子が来てるのか…。」

 少しだけ、意味深に呟いてみる。

「…手、出さないでくださいね。」

 簡単に引っ掛かったな。なんて簡単な釣り堀だ。

「さぁ?俺は手は出さないが、向こうが手を出さないとは限らないだろう?」

「橙子さんは、そんな事しません。」

「…成る程。それだけお互い、信頼しているって訳かな?」

「はい。」

「…なら、尚更確かめたいな。本当に橙子は君を愛してるのか。本当に君を選んだのか。」

 橙子の身体も弱味も総て知り尽くしている。

「もし、俺が誘惑して乗ってきたら今度は離さない。鳥籠に閉じ込めて飛べないようにしてやる。鎖で繋いで、二度と逃がさない。」

 まるで、子供だな…と、自嘲する。
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