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キセイジジツ
第8章 正夢
そっと居間へ戻るとコーヒーの香りが鼻を刺激した。
ーーーコーヒーの匂い…
テーブルを見るとチョコレートケーキが二つ皿に並んである。
おそらくその為にコーヒーを淹れているのだろう。
長田は私に背を向けてお湯を数回に分けて注いでいる。
「長田さん…」
私が声をかけると長田はゆっくり振り返った。
「あっ悠里ちゃん、ケーキが……どうしたの?!」
私が泣いている事に気づいた長田は目を見開いている。
「あの…長田さん。今悠真と電話が繋がってて…長田さんに代わって欲しいって悠真が……」
「あ、うん。貸して」
ただ事ではないと悟ったのかそれ以上は何も尋ねずに私から携帯を受け取る。
「もしもし、悠真くん?」
眉を寄せていた長田の表情が次第に曇っていき、相づちを打つ声のトーンも低くなっていった。
その様子から私は長田は健のすべてを知っているのだと悟った。
「………なるほどね。大体の事は分かったよ。あとは俺と悠里ちゃんで話すから、電話切るね。それじゃあ、また」
電話を切った長田は私に携帯を返しながら無理に笑って見せた。
「とりあえず、ケーキとコーヒーで落ち着こうか。ほら、そこ座って?」
促されるまま座ると、少しぬるくなったコーヒーカップがテーブルに置かれる。
「ぬるくなったけど味は保証するよ。熱々がいいなら淹れ直すけど…」
「あ、これで大丈夫です」
コーヒーから長田へ視線を移してそう言うと長田は「よかった」と微笑んだ。
「どうぞ召し上がれ」
「…いただきます」
猫舌の私は躊躇する事なくコーヒーを啜った。
ブラックが飲めない私の為にすでにミルクを入れてくれている。
「美味しい…」
「でしょ?俺の好きなメーカーのコーヒーなんだ」
同じくコーヒーを啜りながら長田が笑う。
チョコレートケーキを口に運ぶと、甘い中にあるほろ苦さが口内に広がった。
「悠真くんから聞いたんだ。チョコレートケーキが好きって。…美味しい?」
「美味しいです…」
ケーキのほろ苦さと長田の優しさが胸に染みた。
ーーー美味しい。すごく美味しいのに…
視界が歪んでケーキもコーヒーも見えない。
「泣くほど美味しい?」
長田が指で涙を拭ってくれる。
「ゆっくり食べていいよ」
私は黙ってうなずく。
泣きながら食べるケーキは少ししょっぱい味がした。