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口琴
第6章 初恋
どこかへ行けと言われても…一体どこへ行けと言うのか…。

梨絵がおにぎりと水筒を持たせてくれただけで、制服を着替える間も与えられず、敬介に追い出された。

玄関を出た先で、梨絵が慌てて追いかけて来て、麦わら帽子を被せてくれた。

「ママ…ありがとう」

「あんまり遠くへいっちゃダメよ。すぐ帰ってきてもいいからね」

「…うん…ママ…助けられなくて…ごめんね」

「…蕾…」

梨絵は涙ぐんで、蕾を抱き締めた。


午後四時を回っていたが、夏の日没は遅く、灼熱は容赦ない。

陽炎揺らぐアスファルトを踏みながら、宛もなく歩き始めた。

足は、自然とあの河川敷へと向いていた。

ついさっき来たばかりの場所。

しかし、さっきとは違い、人影はまばらで閑散としていた。

少年がいれば、すぐにでも見つかりそうなほど見通しは良かったが、やはり姿は見えなかった。

蕾は、少年に初めて出会ったあの楡の木陰に腰を下ろした。

川風が火照った頬や髪を撫で、川面の煌めきは語りかけてくれる。慰めるように…。

蕾の心には、様々な思いが巡っていた。

小さな心の中に、あまりにも多くの事が混在し、涙が次々と溢れる…。

僅か十歳の胸に抱えるには、あまりにも過酷と言うもの。

助けて…助けて…。

会いたい…お兄ちゃん…。

少年のハーモニカのあのメロディーが、心の中に流れる。

懐かしい調。

母が昔、よく歌ってくれたあの歌が、自然と蕾の口をついて零れた。

この歌が、蕾はとても好きだ。

蕾の実父の故郷、ウィーンを流れるドナウ川を詠っている。

古き時代の美しい和訳で綴られたその詞は、叙情に満ち、東欧的な旋律に調和して、異国の美しい情景を思い描かせる。

小学生が歌うにしては小難しい言い回しで、少々生意気にも思えるが、詩情溢れるこの歌は、大人しくて聡明な蕾には良く似合っていた。


歌は、蕾の中の氷をゆっくりと溶かしていった。

小鳥の囀りより美しい蕾の歌声は、夏の風に乗る…。



「へぇ~、そんな歌詞があったんだ。あの曲」
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