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口琴
第9章 逃避
「ネエネ、おはよっ!うふふっ」

隣で寝ていた梓が、背後からギュッと抱きついて、蕾の顔を覗きこむ。

梓は、いいなぁ…。

満面の笑みの梓が、眩しかった。

「…あずちゃん…おはよ。朝から元気だね」

「えへっ。あず、いつも元気だもーん。ネエネ、早く起きて。ご飯食べたら、一緒に遊ぼ?」

できることなら、起きたくない。

今日が始まってしまうから…。

パパに会いたくない…。

ママ…まだ怒ってるの?…。

ママの顔、見るのも怖い…。

この家にはもう、誰も自分を愛してくれる者はいない。

蕾は、そう思った。

だからといって、中條の娘になる覚悟ができた訳でもない…。

助けて…。

蕾の小さな胸は、今にも張り裂けそうだった。



「ネエネ、早く早くぅ~!」

梓に腕を引っ張られ、渋々と躰を起こした。

梓にせかされながら食卓に着くと、梨絵は梓にだけにこやかに「おはよう」と声をかける。怠そうに起きてきた敬介は、黙って新聞を開いた。

二人とも蕾を見ようともしない。もちろん蕾も。

重苦しい空気の食卓で、梓だけが楽しそうだった。

「…蕾…」

口火を切ったのは敬介だった。

「今日、十一時には社長がお見えになる。躰を綺麗にして、身支度をしておきなさい」

「……」

蕾は返事をせず、チラッと母の顔を見た。

ママ…何か言ってよ…。

いつもなら、横暴な敬介を咎め、自分を守ろうとしてくれるのに…。

梨絵は、伏せ目がちで、何も言わず黙々と食事している。

ママ…?

やっぱり…怒ってる…。パパを止めてくれないんだ…。

「ダメッ!今日、ネエネはあずと遊ぶんだもん!ね?そうだよね?ネエネ?」

「おいおい梓、今日はお姉ちゃんに、とっても大切なお客様が来るから忙しいんだ。ママに遊んで貰いなさい」

「え~!やだやだっ!あず、ネエネと遊ぶんだもん!」

「あずさ~…わがまま言うなよぉ~」

「あずちゃん、遊ぼ?大丈夫だよ。お客様が来るまでまだ時間があるし」

「やったぁ~!ご馳走さま。あず、先に外に行ってるね?」

梓は玄関に駆けていった。

「蕾!」

「いいでしょ?だって…私…もうこの家には帰れないんだから、最後に妹と遊ぶくらい…」

「…お前…知ってたのか?…養子の事…」

梨絵には寝耳に水。青ざめ、思わず立ち上がり、敬介を睨んで唇を震わせた。
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