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おんな小早川秀秋
第5章 石田三成という男
日記の大半は、歌を作ったとか茶の湯を楽しんだとか、武家の子らしい毎日を綴られていた。秀吉の養子として、未来の豊臣を担うため、大人に囲まれる機会が多いようだった。
その中でも特に秀俊が名を挙げていたのは、豊臣秀次。その名はあきも知っている。秀吉の養子の中でも、一番に後継者として挙げられていた男であった。
二人は、養子である事を抜きにしても親類である。同年代の子どもと触れ合う機会の少ない秀俊を不憫に思ったのだろうか、秀次はよく秀俊を気遣っていたようだった。
(歌に踊りに蹴鞠……これ、私も出来るようにならないと駄目だよね。大変だなぁ)
踊りや蹴鞠は運動だが、歌ばかりは生まれもった才が全てである。頭を良くすれば、上手くなるというものではない。出来るだけ秀次とは顔を合わせない方が良さそうだった。
周りに大人しかいない寂しさはあれど、秀俊は世を悲観するような子ではなかった。それががらりと変わったのは、やはりあの日――拾が生まれた日だった。
(この日に、太閤様は……秀俊を、見ようとはしなくなったのね)