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ブルジョアの愛人
第17章 午前一時のダークスーツ
本当に莉菜を傷つけたくないと思うなら、黙っておけば良かったのだ。どうせ今日で別れるのだから。
それができなかったのは、やはり彼女に責任を感じさせて引き留めたいという欲が勝ったからだろう。今ので彼女は浩晃を少し嫌いになったはずだ。
何も言えなくなり、ひどく汗ばんだ手でハンドルを握り直した。マンションまでの残り二十分間を思うと、ひどく気が遠くなる。
だが、沈黙のニ十分は意外にも速かった。
いつも通り、駐車場に車を停めようとすると見慣れない車があった。黒塗りのセダンだ。暫く来ないうちに新しい入居者が来たのだろう。
浩晃は特に気に留めることもなく駐車し、シートベルトを外してひとつ息をついた。部屋の鍵も一応持って来たが、必要なさそうだ。莉菜も降りる気配はない。
額にも汗が噴き出していた。窓は半分ほど開けているが、生ぬるい風しか入って来ない。エアコンをつけようとしたとき、近くで黒い人影が動いた。二人分あった。すかさず車のドアが開けられる。
「青木浩晃と、小林莉菜さんだね」
凍りつく唇の間から息を漏らすようにしてやっと返事をする。目を凝らして声を出した男の顔を見た。脂ぎった四角い顔に小さな目鼻がついていた。いかにも、刑事小説に出てくる人間だった。
「中央署の生活安全課、高原だ。青木、署まで同行願う。もちろん任意だが」
浩晃は莉菜を振り向いた。だが、彼女が通報したわけではないようだ。彼女の目は驚きと恐怖でふくらんでいた。