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滲む墨痕
第3章 雪泥鴻爪
ふっと目をそらした彼は、つい数分前まで愛欲の水音を奏でていた場所に戻り、セーターを拾い上げる。それを被って腕を通すと、振り返らずに襖を開けて出ていった。
一人取り残されると、部屋の中が妙に広く、寒く感じる。
まるで何事もなかったかのように、たやすく空気を切り替えられてしまった。ボクサーパンツを脱ごうと指をかけた瞬間の彼の瞳は、間違いなく真っ直ぐに自分を欲していたのに、と潤は思った。自分だけが舞い上がっていたのかと思わされるほどの急な温度変化に戸惑い、ぼんやりと藤田の残像を意識の中に映す。
不意に、足元で繰り返されていた振動が止まった。はっと我に返った潤はすばやくしゃがんでバッグを開け、財布や小さな化粧ポーチと並んで収まっている薄い携帯端末を取り出した。ロック画面を確認する。
「え……」
そこに表示されていた予想外の名前に、そう声を漏らさずにはいられなかった。