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滲む墨痕
第2章 顔筋柳骨
潤は、自分が口にしたことを後悔した。習っていたならある程度は書ける、そう思われてしまったかもしれない。だが十八年のブランクはそう簡単に埋められるものではない。仮にも老舗旅館の若女将になる予定の人間が、救いようもない字でも書いてしまえば気まずくて野島家に帰れない。
バッグとコートを部屋の隅に置き、ほんの少しだけ逃げたい気持ちを抱えながら待っていると、藤田が戻ってきた。その手には、大きさの違う二つの桐箱と筒状に巻かれた下敷き。
「そこに座ってください」
「は、はい」
「その服のままで大丈夫ですか」
「ええ。もちろんです」
体験レッスンとはいえ、汚れてもいい服で来るのは当然のことだ。黒いニットに色の濃いジーンズを合わせてきた。
潤は机の前に正座して背筋を伸ばし、そばに膝をついた藤田を見つめた。
「よろしくお願いします」
硬い声に笑みを返した藤田が桐箱を開ける。一つの箱には硯(すずり)や筆などの書道用具一式、他方には半紙が入っている。