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滲む墨痕
第4章 一日千秋
「泣く暇があったら、俺の股間でも蹴り上げて逃げればいいだろう」
半笑いで言われ、哀しみの深淵に突き落とされた潤は思う。いったいどこへ逃げろというのか。この家から出たところで、今さらどこへ行けるというのか。帰る場所さえ、もうないのに。
この地に越してきてから、すでに手中にあるはずだった平穏な日常を見失い、手に入る保証もない不安定ななにかを手に入れようともがいていた。どこまでも広がる海ではなく、小さな池の底で。不毛なのだ、なにもかも、最初から。
「なにか言えよ、潤」
その声に応えず、諦めに似た気持ちで目をそらした瞬間、誠二郎が激昂した。
「お前の、そういうところが……っ、腹が立つって言ってるんだよ!」
今まで聞いた誠二郎の声の中で、それはもっとも荒々しい怒気と明確な悪意を含んでいた。お前――そう呼ばれるのは初めてだった。