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滲む墨痕
第4章 一日千秋
そこでなにをする気なのかと尋ねる前に、「借りるね」という声が飛んできた。水道の蛇口をひねる音の直後、水が流し台を叩く音がした。
妻が毎日掃除し綺麗にしている場所には、かつて狂暴なほどに淫らな憧れを抱いた女が立っている。すっきりと結われた黒髪は、あの頃のような長さを保っているだろうか。わずかに覗く首筋は、いまだに吸いつきたくなるような色香を漂わせているのか。誠二郎は生唾を飲み込んでその光景を眺めた。
しばらく水を流したあと、美代子が蛇口を閉めた。着物の袖を軽く引き上げると、流し台に両手を下ろしてなにかを持ち上げた。ステンレス製の洗い桶。潤が食器を洗うときに使っているものだ。よく見ると湯気が立っている。美代子はそれに湯を貯めていたらしい。
ゆっくりと戻ってきた彼女は、こたつテーブルに目を落とす。
「ごめんね。少し片付けてくれる?」
突然の依頼に誠二郎は一瞬ためらったが、桶を持ったまま立ち尽くす美代子の視線に押され、書道用具や紙をテーブルの端に追いやった。