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自由という欠落
第1章 がらんどうな方程式
「先生、帰りましょう」
「あっ、……」
岸田はYの腕を掴むや、引きずるようにして会議室を離脱した。平面状の世界にのみ、自然の原材料から練り上げられた染料の創造する非現実にのみ、関心を示しているような女が。
その日、Yは岸田の暮らすマンションに泊まった。彼女の学生時分の話は、想像していたより遥かに凡庸だった。
…──Y先生は憧れなんです。真面目で、生徒のみんなの気持ちを考えて、授業を組み立てているでしょう。
だから、体面しか頭にないあの人達の言い分には、腹が立ちました。
ここまで言わせた岸田の期待に応じられる余力は、Yになかった。
この春を期に、Yは務めて無音に日々を費やすようになった。
生徒に好かれたがりはしない。生徒に軽んじられたなら、押さえつければ良いだけのこと。及第点さえ取らせれば良い。問題を起こしてはいけない。起こさせてはいけない。規律こそ、感情よりずっと確かな答えを導く。
数学の方程式も、一つのルートには一つの答えしか当てはまらないではないか。
あれから四年。
Yはクラスを受け持っていない。淡々と深緑の板に数字を連ねて、眠気をいざなう呪文のような理論を唱える。Yが担任のクラスを設ける学校になど行かせられない、そう主張する保護者らの目を忍びながら、校則に管理された彼らの愛子達に数字で価値をつけていくだけの日々。