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自由という欠落
第1章 がらんどうな方程式
「先生」
美化委員会が閉会してまもなく、ミルクのように甘い声がYを引き止めた。
昼休み終了の予鈴まで残すところ十数分ある。校内は間断なくさざめいており、懐こい声がYの耳に届いたのは、一種の奇跡だ。
「暮橋さん。何か?」
努めて教育者を意識した顔を向ける。それでいて高圧的にならないよう、あくまで親身な姿勢をとらなければならないのは、とりわけ彼女はYのクラスの教え子だからだ。
「疲れているみたいだから、差し入れです」
「え、……」
「家庭科の課題を遅くまでやっていて、一応、持って来ていたんですけど。先生の方が倒れそうだし……」
暮橋がYに差し出したのは、滋養強壮剤だ。どこのコンビニエンスストアや薬局でも見かける、オーソドックスで手軽な瓶。
逡巡を払ってYは瓶を受け取った。暮橋は愛嬌を滲ませた笑顔できびすを返した。
遠ざかる教え子を見送って、Yは褐色のガラスが指先の熱を吸いかねないほど、強く瓶を握り締める。
生徒にまで心配かけるなんて。…………
職員室では若年で、担任はまだ二ヶ月だ。生徒に嫌われていないか、軽んじられていないか、自分の授業は分かりやすいか。憂事は尽きない。会議に集中出来なかったのも、生徒らが中心になって物事が進行する束の間、無意識が休息を求めたからだ。