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道化師は啼かない
第8章 それぞれの終幕
 夕方、胡桃は買い物の帰りに橋を渡りながら遥か下の水面を見ていた。
 ガサガサと膝に袋が当たる。
 綺麗だな。
 このまま飛び降りてしまえば、唯の元に行けるんだろうか。
 十年の約束だってもう切れたはず。
 あの時背を押したハルのような存在が、私にはもういない。
 守りたかった蕗ももういない。
 独りになってしまった。
 ゆらゆら。
 ほら。
 誘ってるみたい。
 ゆらゆら。
 おいで。
 母さん、父さん、唯。
 ヒューイ。
「ニャア」
 呼びかけにヒューイの霊がこたえたのかと思った。
 振り返ると、しなやかな尻尾を振り振りさせる黒猫と、一度だけ見た金髪の男が立っていた。
「よお。胡桃ってあんただよな」
「み、水野さんでしたっけ?」
「バカ、それはハルが適当に言った奴だよ。よく覚えてんな、姉さん。あ、じゃなくて。オレは岸……まあ、いーや。名前はどうでも。これ、預かりものだ」
 直輝はジーンズのポケットから二つ封筒を取り出した。
 ひとつは大きめの茶封筒。
「これはハルからだ。あいつ……この猫もオレに押しつけてこんな伝書鳩みたいなパシリもしやがってよ。大変だったんだぜ? あんた、見つけンの。喫茶店はいつもCLOSEDだったし、呼びかけても出てこねえしよ。まあ、そんな苦労話はどうでもいっか」
 中身は店の権利書や、預けていた私の身分証明等々だった。
 それを見て、もう二度とハルにもマスターにも会えないことを悟った。
 もう、監獄の扉は開いたのだと。
 もう、私は自由なのだと告げていたから。
 こみ上げてくる涙を抑えてもうひとつを受け取る。
「そっちがマジで意味わかんねーんだよなっ。なんでオレがあのクソガキの代行までしなきゃなんないんだっつー……シロだか蕗だかわかんないけどよっ。中身読んじまったよ、ムカついて」
 しかし胡桃の耳に直輝の声は全く届いていなかった。
 封筒の表に書かれた”胡桃姉さんへ”の文字だけで誰からのものかわかったから。
 堪えるなんて無理だった。
「けど……ちょっと後悔したな。あいつのこんな良いとこ見ちまうとこう……なんつーか、純情なガキだったんだなっていうか。って、え! なんで姉さん泣いてるんだよっ。おい! 勘弁してくれよ……オレ女の涙ホント苦手なんだよ」
 欄干に飛び乗ったヘレンは優雅に座って水面を眺めて鳴いた。
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