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道化師は啼かない
第1章 序章 這う狂気
頭上で烏が飛ぶのを見上げ、ハルは血の付いた手を拭った。
白いハンカチに紅い模様が広がる。
倒れたチンピラを靴先で転がし、端にやる。
気絶しているだけなのか、息絶えているのかはわからない。
切れた口端からだけでなく、耳からも出血している。
「誰にも見られてません、ね」
ハルは大通りの方を振り返り、メガネを掛けた。
それから乱れた前髪をくっと分ける。
うねりの一つもないサラサラな髪は首筋で揺れた。
僅かに血が残った親指を唇に近づけ、舌で舐める。
ピチャリと。
「不味い……」
すぐに手の甲で口を拭き、鞄を拾って立ち上がる。
ぶらぶらと殴った方の手を振り、コツコツと歩く。
つい五分前のように、雑踏に紛れて。
眼を瞑って。
ただ流れに任せるように。
しかし、胸ポケットから覗くハンカチには、確かに血が付いていた。
錆びついた看板が壁から垂れさがる喫茶店の前で足を止める。
ステンドグラスから中は見えない。
灯りは点いてないようだ。
ハルは気だるく周りを見回し、それから扉を押し開けた。
カランカランと涼しい音が来客を告げる。
右奥に向かって伸びるカウンターと、左に並ぶテーブル席。
何も敷かれてない木の床は、ギシと音を上げる。
「開店前だけど」
窓際に腰掛け、両腕に顔を埋めた女性が云う。
小麦色のカーディガンにデニム。
長いカールがかった茶髪は雑に束ねられ、背中を伝う。
「すみません。コーヒーをいただけます?」
やっと顔を上げた彼女は、ハルを見てあからさまに溜息を吐く。
「頼むから開店時間は把握してよね、死神男」
「そのあだ名やめてくれません」
「だったら……」
女が立ち上がり、カウンターに入りながら小声で付け足す。
「女性殺し、かな」
ハルがテーブルにもたれて、鞄を置く。
それから低い声で冗談ぽく呟いた。
「死ねばいいのに」
「あたしは死なないわよ」
氷をグラスに乱暴に入れ、冷蔵庫から珈琲を出す。
「だって、あんたが死ぬとこを見るんだもの。あたしの家族をみんな食い尽くしたあんたのね」
二人は一瞬目を合わせて、お互いを睨んだ。
珈琲を受け取り、舐めるように一口飲む。
喉を降りていく冷たい液体に、暑さが薄れていく。
「今日はどこ行くの?」
「さあ。どこでしょうね」
残りを一気に飲み干し、口端の滴を指で掬う。
白いハンカチに紅い模様が広がる。
倒れたチンピラを靴先で転がし、端にやる。
気絶しているだけなのか、息絶えているのかはわからない。
切れた口端からだけでなく、耳からも出血している。
「誰にも見られてません、ね」
ハルは大通りの方を振り返り、メガネを掛けた。
それから乱れた前髪をくっと分ける。
うねりの一つもないサラサラな髪は首筋で揺れた。
僅かに血が残った親指を唇に近づけ、舌で舐める。
ピチャリと。
「不味い……」
すぐに手の甲で口を拭き、鞄を拾って立ち上がる。
ぶらぶらと殴った方の手を振り、コツコツと歩く。
つい五分前のように、雑踏に紛れて。
眼を瞑って。
ただ流れに任せるように。
しかし、胸ポケットから覗くハンカチには、確かに血が付いていた。
錆びついた看板が壁から垂れさがる喫茶店の前で足を止める。
ステンドグラスから中は見えない。
灯りは点いてないようだ。
ハルは気だるく周りを見回し、それから扉を押し開けた。
カランカランと涼しい音が来客を告げる。
右奥に向かって伸びるカウンターと、左に並ぶテーブル席。
何も敷かれてない木の床は、ギシと音を上げる。
「開店前だけど」
窓際に腰掛け、両腕に顔を埋めた女性が云う。
小麦色のカーディガンにデニム。
長いカールがかった茶髪は雑に束ねられ、背中を伝う。
「すみません。コーヒーをいただけます?」
やっと顔を上げた彼女は、ハルを見てあからさまに溜息を吐く。
「頼むから開店時間は把握してよね、死神男」
「そのあだ名やめてくれません」
「だったら……」
女が立ち上がり、カウンターに入りながら小声で付け足す。
「女性殺し、かな」
ハルがテーブルにもたれて、鞄を置く。
それから低い声で冗談ぽく呟いた。
「死ねばいいのに」
「あたしは死なないわよ」
氷をグラスに乱暴に入れ、冷蔵庫から珈琲を出す。
「だって、あんたが死ぬとこを見るんだもの。あたしの家族をみんな食い尽くしたあんたのね」
二人は一瞬目を合わせて、お互いを睨んだ。
珈琲を受け取り、舐めるように一口飲む。
喉を降りていく冷たい液体に、暑さが薄れていく。
「今日はどこ行くの?」
「さあ。どこでしょうね」
残りを一気に飲み干し、口端の滴を指で掬う。