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道化師は啼かない
第5章 邪な嘘
 それに、こうして未海やクラスメイトのそばにいるほうがずっと安心できる。
 無抵抗に呼吸ができる。
 大きなことだ。
「昨日の数学だけ見せてくれる?」
「それなんだけどさ、のべっちが雑談ばっかして全然進んでないんだよね。二次関数の定義域の変動のとこしかやってないよ。麗奈なら楽勝でしょ」
「じゃあ……答えだけ確認でいっか」
 のべっちこと野辺原優は、授業の半分を雑談にかけることに命を張っている数学教師だ。
 本人は優先生と呼ばれたがっているが、生徒はのべっちから変える気はない。
 三十四歳。
 独身女教師。
 男女ともに彼女をいじらない生徒などいない。
 いつ結婚するんですか。
 そろそろ香水の香り変えませんか。
 体育のバッチャンはどうですか。
 俺が相手になりましょうか。
 高校生のそういう話題に対する積極性は賞賛に値する。
 ちなみにバッチャンとは体育の馬場淳介のことだ。
 彼も三十五歳独身ということで、のべっちとは夫婦教師としてセットで見られている。
「文化祭の実行委員、麗奈なるー?」
「え? 強制参加じゃないよね」
「違うけど。ほら、本部のあのTシャツ欲しいから一緒にやるかって前に話したじゃん」
「話した……っけ」
「忘れてるしー! いいけど。クラスからはめくちゃんがいくっぽいし」
「あー、生徒会長候補のめくちゃんね」
 チャイムが鳴り、未海と別れて席に着く。
 ガラリと空気が変わり雑談が消え去った。
 進学校とは言え、この静まり方がいつも不気味だ。
 扉が開くと同時に日直が号令をかける。
「起立、礼」
 おはようございます。
 道化が小声で言った。
 可愛い。
「馬鹿言ってんじゃないわよ」
 慌てて唇を噛む。
 不意打ちに乗っ取るのはやめてほしい。
 危うく日本の挨拶システムに反旗を翻すところだ。
 すぐに道化の舌打ちが聞こえた。
「おはよう、みんな。今日は清掃委員の人は放課後に北校舎の裏で雑草取りがあります。それから文化祭実行委員に立候補する生徒は――」
 ざわ。
 首筋に何か冷たいものが走った。
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