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道化師は啼かない
第5章 邪な嘘
ゆらゆら漂う視界の真ん中で道化が目を逸らす。
だから私は急いで鏡に縋った。
「なに? ちゃんと言わなきゃわかんないのよっ! 道化!」
上にみんながいるなんて関係ない。
勢いよく鏡に突いた手から肩まで痛みが駈ける。
きっとこの痛みは、道化も感じただろう。
だって、その目が一瞬歪んだから。
ねえ。
あなたが私の考えを全部透かして見ているように、私もあなたのことはなんでもわかるのよ。
六年前から。
ねえ。
早く答えてよ。
ピキ。
そっと手を退けると、割れたガラスが流しに落ちた。
何片かが、白い側面を滑る。
ヒビの入った鏡に手を翳す。
赤い影。
ああ。
手、切れた。
痛い。
痛くない。
感覚が、ない。
ひょっとして、道化が身代わりになってくれたの。
ねえ。
あなたにそんな権利があるの。
ぐっと、ガラスの食い込んだ手を握る。
ギチギチと肉に更に突き刺さる。
これは自傷行為?
道化を傷つけてるの。
どっち。
わからない。
「やめなさいよ」
冷たく放たれた声に力が止まる。
「次にやったら容赦なく首を絞めるわよ」
「……質問に答えてからにしてよね」
譲るもんか。
絶対に。
譲ったりなんかするもんか。
この体の主導権は私にあるんだから。
ギッと道化を睨みつける。
「質問に答えて」
いつからこんなに声が太くなったんだ、私。
換気扇が回ってる。
頭上から、声がする。
みんなの、声。
やっと道化がこっちを見た。
だがその瞬間、道化は消えて、鏡には私だけが残った。
叫ぼうとした私の肩を、誰かが掴む。
「大丈夫? 麗奈」
「っ……みんみん?」
驚いた顔をした未海が立っていた。
ホームルームが終わったんだろうか。
「えっ、手どしたの! 早く保健室行くよ」
大きな瞳に、私と割れた鏡が映ってる。
びっくりしてるよね。
気が狂ったかと思うよね。
私は苦く笑って誤魔化した。
「顔洗おうとしたら……めまいがしちゃって、手、突く位置誤っちゃって……割っちゃった」
「いいってそんなの! 血でてるじゃん」
手首を掴まれて、トイレから連れ出される。
視界から消える瞬間に見た鏡には、歪んだ道化が立っていた。